掲載日 : [2003-12-03] 照会数 : 4130
「討論共和国」に期待 岡本健吾(NHKソウル支局)
以前韓国は「討論共和国」になるべきだという文章を目にしたことがある。社会問題を権力者が独断で解決するのではなく、皆で民主的に話し合って解決方法を模索すべきだというものだ。盧武鉉政権にもその姿勢は見られる。政権発足当時「これほど自由に討論する閣議は初めてだ」という声が出席者から上がったらしい。
この討論共和国、インターネット上や非公式な場ではかなり実現しているようだが、公的な場ではまだまだと言わざるを得ない。
以前、取材した北朝鮮の人権問題を考える会議でのこと。大学教授やマスコミ関係者が各自発言した後、いよいよ討論が始まるかと期待していたら、主催者は、時間が来たのを理由に具体的な議論に踏み込まなかった。主催者は意見を聞くことが目的だからとしていたが、それなら書面で十分なのだ。専門家が集まって見解を述べるのは、その場で意見を交わし、論点について出席者、傍聴者の認識を深めるためではないのかと、腹が立ったことを覚えている。
セミナー、フォーラムなどと呼ばれる会議は大半この調子だ。翻るに日本でも状況は同じだと思わざるを得ない。こう考えると、公的な場では相手のメンツを立て表立っての対立を避けようとする、日韓共通の文化は、討論には適していないのではないかとも思える。 ただ実は私は韓国に期待している。自己主張の強さ、話好きといった韓国人の特徴は、冷静になれさえすれば討論には向いていると思えるからだ。論理的によどみなく自らの考えを話す人が如何に多いことか。韓国が真の「討論共和国」になる日を願って止まない。
(2003.12.03 民団新聞)