掲載日 : [2004-01-21] 照会数 : 4132
神様の住むアメリカの街 萩原遼(ジャーナリスト)
呉基洪さんは在米韓国人で、私の住むワシントン郊外のアパートのコンビニの主人です。奥さんと娘2人の4人で10年前に移民に来た人です。
私は00年6月から米朝関係の勉強にやって来たのですが、着いたとたんに急ぎの韓国語の翻訳が入り、上下2巻を3カ月で訳すという強行軍となりました。
このとき、毎日のようにわからない言葉を教えてもらったのが呉さんです。どんなにお客が立て込んでいてもいやな顔ひとつしない。奥さんによると「神様みたいな人」。50歳近くで大学院の神学部に籍を置くクリスチャン。カウンターの後の人一人入れるところで呉さんはいつもパソコンで英文のレポートを書いています。そこへ私が割り込んで教えてもらう。どんなに迷惑で、しかしありがたかったことか。
おととしの夏、間借りしていた部屋の隣に新しく入ってきた黒人娘の騒がしさに閉口して、独立した一間の部屋に移ろうとしたら、社会保障番号(国民背番号のようなもの)を持たない外国人には貸さないと言うのです。人種差別はしてはならないとなっているではないか、と声を荒げましたが、9・11テロ以後は変わったのだと。落ち込んでいたとき呉さんが「私の名で借りてあげましょう」。おかげで無事に生活でき、仕事がはかどっています。
しかし、あと数カ月で日本に戻る日が近づいています。見知らぬ黒人のおばさんの紹介でたまたま住みついたこの街でした。野生の鹿や野うさぎとつきあえたのも、樹海から昇る深紅の太陽を毎朝眺められたのもこの街です。そして神様のような人に出会えたのも。
(2004.1.21 民団新聞)