掲載日 : [2004-07-21] 照会数 : 5460
海南島の従軍慰安婦 前田憲二(映画監督)
1942年前後、日本軍が従軍慰安婦を求め、朝鮮半島で数多くの少女らを拉致した。
拉致された少女らの一部、推定50名前後の人々は、いまもって中国の南端、トンキン湾に面した海南島に健在で、80歳前後になっているだろう。この島は九州と同じ大きさ、人口700万、藜族、苗族300万以上が居住し、かつては流刑地だった。太平洋戦争時代は、日本帝国海軍の最前線基地で、軍人、軍属2万数千人が居住した。
川崎市居住の中里チヨ(82)を1999年春に取材。彼女は元従軍看護婦として、海南島に1948年まで滞留された。 中里さんが語るには、拉致された少女らは、一旦日本へ連行され、横須賀から船出し、海南島の海軍基地三亜に幽閉された。あるとき、2台のトラックに詰め込まれた慰安婦らは梅毒検査のため軍病院へ来た。中里さんは消毒を担当したが、数名の慰安婦は下腹部がざくろのように化膿していた。従軍慰安婦らは中里さんの手を握り、アイゴーと嗚咽。
これを取材した私たち映画クルーは同年夏、海南島三亜へと飛んだ。
中国政府から派遣された通訳と運転手は、猛暑で昼間は働かず怠慢を極めた。これが幸いし、私たちクルーはその時間を利用して元従軍慰安婦らの居場所を捜した。
吉林省の寒さから逃れ、この地に来たという朝鮮族の金氏一族に会うと、三亜にいた慰安婦らは近年、陵水近くへ移住したという。タクシーを契約し、灼熱の大地を右往左往して慰安婦らを捜したが、居住した場所はもぬけの殻だった。この拉致問題解決を、私は日朝韓中の政府に求めたい。
(2004.7.21 民団新聞)