掲載日 : [2004-07-28] 照会数 : 4413
樺太行きのフェリー 橋田欣典(ジャーナリスト)
7月初め、サハリンに行った。稚内からコルサコフ(旧名・大泊)に向かうフェリーで、サハリンの先住民、樺太アイヌ民族の子孫である71歳の女性と出会った。
彼女は56年ぶりの故郷に向かう途中だった。樺太アイヌは北海道アイヌとは異なる文化、言語を持ち約2千4百人が暮らしていた。しかし明治以後の日ロの領土争いで繰り返し先祖の地を追われて日本国内に離散、差別に身を潜めて暮らし、出自を明らかにしている人はごくわずかだ。
彼女も15歳で日本に渡ってから自分を隠し続けた。結婚し2人の息子をもうけて〞秘密〟を知った夫の「土人」という罵声。子供を女手ひとつで育てる中、すべてを受け入れてくれる男性と出会い再婚。息子の妻からは「お義母さんのことをもっと教えて」と言われている。
波乱の人生を乗り越えて訪れた故郷で、彼女は博物館に展示されていた祖母の写真と偶然、出会い、集落の中に今も残る近所の家を見つけた。そして漁でにぎわった浜で「何も恥ずかしいことじゃない」と泣いた。
言語学者、金田一京助が樺太アイヌの子供たちから言葉を学んだ様子は戦後、日本の小中学校の教科書に広く掲載された。彼女の母親はその時の子供の一人だった。多くの人々がこの教科書で学びながら「子供たちはどうなったのか」という思いを寄せられなかったことが胸に刺さった。
彼女はかつて朝鮮人を差別して父親からひどく叱られたことがあるという。「差別はよくない。絶対に」。大国の狭間で翻弄された歴史を生き抜く彼女の記憶をなんとか今、文字に書き残しておきたい。
(2004.7.28 民団新聞)