掲載日 : [2004-10-06] 照会数 : 6041
<兵庫版>歴史講座 近代の朝鮮と兵庫(04.10.6)
66年前の阪神大水害
在日奉仕団が活躍…国籍・民族越えた助け合い
兵庫朝鮮関係研究会のオープンセミナー「深い絆‐近代の朝鮮と兵庫」が9月18日、神戸学生青年センターで開かれた。兵朝研は在日同胞の研究者が集い、近・現代における韓国・朝鮮と兵庫県の歴史について調査しているグループで、その活動は20年以上にわたっている。その成果をセミナーで発表した。
1回目は66年前に神戸を襲った阪神大水害時に当時の在日コリアンが「朝鮮人奉仕団」を組織し、道路や河川などの災害復旧作業に従事した歴史が紹介された。講師の高祐二氏は、「水害が発生した1938年、神戸にはすでに多くの在日朝鮮人が住んでいた。当然水害にも遭遇していたはず。9年前の阪神・淡路大震災を経験した者として、当時の人々がどのように動いたのかを知りたかった」と水害とコリアンの歴史を調べるきっかけについて語った。当時の警察資料から、東神戸や尼崎で朝鮮人奉仕団が国道2号線の復旧作業に従事しその後表彰を受けた記録や、「輝く内鮮融和・半島婦人団の奉仕」の見出しの新聞記事が紹介された。
また、日本名福島仙吉氏が山津波に遭遇した母子を救い、「朝鮮同胞の美はしい人情に私は心から感謝せずにいられない」と記された記録などもあった。「一方で警察は『大水害の警備』として『朝鮮人並要警戒人物の警戒取締』や『従って不逞輩としては…朝鮮人労働者の入込むもの夥しく…刑事警察活動の核心をなすもの』と関東大震災時の朝鮮人虐殺をほうふつとさせる治安管理の対象にしていた」と高氏は指摘した。逆に朝鮮人集落に避難を呼びかけ、その途中で殉職した警察官親子のエピソードも語られた。
高氏は「どんなに科学技術が発達しても災害はなくならない。被災したとき、国籍や民族を越えて助け合うためにも日頃からの相互理解が欠かせない」と語った。
また、徐根植・兵朝研代表も「兵庫県にある朝鮮人の石碑」と題して講演。「強制連行で知られるように朝鮮人労働者は韓国併合以後に日本にやってきたと思っていたが、山陰本線敷設工事で犠牲になった人たちの石碑に朝鮮人の名前が刻まれていることが分かり、1910年以前に朝鮮人が存在していたことが判明した。文章や記憶は曖昧になるが、劣化しにくい碑を残すことは最も大切」と話した。
「朝鮮人が海を渡って既に1世紀以上。そのほとんどが石炭などのエネルギー確保、鉄道などのインフラ整備と基幹産業に携わっている。近代において歴史を共有している日朝の記録を残すことが重要だ」と語った。
オープンセミナーは10月16日と11月20日にも開催される。問い合わせは(℡090・8192・2399)。
(2004.10.6 民団新聞)