掲載日 : [2004-10-20] 照会数 : 4357
少年〞コイチ〟のこと 織井青吾(作家)
コイチのことが、いまだに忘れられない。コイチは、朝鮮から渡ってきた少年であった。知り合ったのは、小学校の4年くらいの頃で、すでに日中戦争が始まっていたが、母の里帰りに連れられて行った広島の農村でのことであった。
祖母から、コイチとは遊ぶなと言われたが、何故なのかは、どうしても教えてくれなかった。寡黙で、仲間はずれで「わしはチョーセン、お前はイルボン」と、いきなり口にされたが、何のことか、わたしにはサッパリわからなかった。
しかし、そのイルボンのわたしと遊ぶ以外、コイチ少年が近くの子どもたちと一緒にいた姿を目にした記憶が、どうしてもないのである。
コイチの家は山裾にあるらしかったが、行ったことはない。たまに会うと、相撲をしたり、山にわけいって谷間でアケビを採って遊んだりした。母の里帰りで、その彼に会えるのが、ひそかな楽しみであった。
そのコイチの姿が忽然と、村から消えた。わたしが中学へ入った頃である。木こりをしていたという叔父に連れられ、広島の市内に越して行ったらしいという。それも風の便りでしかなかった。 わたしが原爆にやられて、その母の里で療養していた時、市内に居たはずのコイチは、あのピカでどうなっただろうと、それがふとわたしの胸をよぎった。それにしても、日本でのコイチはなんと希薄な存在であったことか。
ときたま、原爆犠牲者の引き取り手のない遺骨のことを耳にするたびに、いまの在日の人達の背後には、計り知れないほどの〞コイチ〟の存在があったことであろう。それを想う。
(2004.10.20 民団新聞)