掲載日 : [2004-11-10] 照会数 : 7382
家屋全壊2件、一部損壊38件 全同胞の被害調査(04.11.10)
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民団新潟・中越地震対策本部
カルビスープ計2500食炊き出し
道なき道辿り同胞に救援物資
被災者いやした「冬ソナ」音楽
【新潟】最大で震度7を記録した新潟中越地震は、建物を破壊し、山を崩し、道路を寸断し、ライフラインをズタズタにしたばかりか、人々の人生設計を狂わせた。同胞社会ももちろん例外ではない。被災現場で同胞や日本人住民の支援活動に当たった民団新潟・中越地震対策本部の活動を追った。
地震の翌日から被害状況の把握と救援活動に努めてきた民団新潟対策本部は6日までに、被災地域に住む全同胞の被害状況の調査を終えた。その結果、家屋の全壊が2件、一部損壊が38件。人的被害は幸い皆無であった。
調査対象地域は広いうえ通行止めが随所にあり、散在する同胞宅を一軒一軒訪問するのは前途遼遠に思え、腰が引けたほど。中でも震度7の激震を記録した川口町在住で、家屋全壊の情報があった李相烈さんを慰問するのは困難を極めた。
本部スタッフ4人は10月28日、「まず車で行けるところまで行こう」とカセットコンロ、ホカロン、カップヌードル80食、男性・女性用下着などを積み込み出発。通行止めの手前で車を降りると、道路が至る所で陥没し、十数本の電信柱が今にも倒れそうにぶらぶらしているのが目に入った。地元の人も通ったことがないという峠を、救援物資を持てるだけ持って徒歩で越えることに。山崩れでぬかるんだ峠を50分ほどで越え、全壊・半壊の家屋をすり抜け、倒れた墓石が散乱する墓地を横目に国道を1時間ほど突き進んで、ようやく李さんに会うことができた。
国道沿いのトラックで避難生活をしていた李さんは、車内で親子が交代しながら就寝し、車の屋根から工事用の青シートを歩道にかけて張り、その下で日常の賄をする状況だった。「これからどうすればいいのか」と落胆する李さんに、救援物資を手渡し、「足りないものがあればいつでも駆けつける」と励ますのが精一杯だった。
徒歩5分ほど離れたところの高新松さん宅も全壊だったが、高さんは地震前から入院中とのことで、病院を捜して改めて慰問することにした。
被災同胞に対する被害調査・救援活動を継続する一方で、対策本部が力を入れたのが炊き出しだ。頼りになるのは何といっても女性陣。10月31日に長岡市の避難所2カ所で行われた1回目の炊き出しは、婦人会員を中心に40人がカルビスープ1000食分を超える食材と調理器具を用意し、8台のボンゴ車などに分乗して2班に分かれて移動した。
現場にはスタッフの発案で準備された『冬ソナ』のテーマ音楽が常に流されていて、沈みがちな避難所の雰囲気を明るく、和らげているように見えた。避難所の一つ豊田小学校では、ある日本人の女性ボランティアが韓国語なので歌詞の意味が分からないと言いつつ、肩でリズムをとりながら大きな声で全曲を歌い切った。『冬ソナ』人気の何と凄まじいことか。
炊き出し終了後にあいさつに見えた校長に、「地震が落ち着いたら、教育の一環として国際親善にも取り組みたい」と言葉をかけられ、スタッフの疲れも吹き飛んだ。
11月3日の小千谷市・東小千谷小学校での2回目の炊き出しには本部スタッフ約30人が、同じくカルビスープ1500食分を用意して車7台で駆けつけた。地割れや隆起、片側一車線が完全陥没した道路、母子3人を巻き込んだ崖崩れ現場、脱線した新幹線、レールが浮き上がった線路などを目の当たりにする道中であった。
しかも、炊き出し最中に直下型の縦揺れ地震に見舞われ、爆弾が着弾したかのような大きな地鳴りと悲鳴が重なって、震災の恐ろしさを想起させるに十分だった。
この日の炊き出しは午後5時からで真っ暗だったため、車のヘッドライトで四方八方からライトアップしたところ、隣で炊き出し中の自衛隊がすっかり霞んでしまい、気の毒なほど閑散としていた。新聞2紙に予告記事が掲載されていたこともあってあいにくの雨のなか、予定時間の20分ほど前からナベやバケツを持参して被災者が列をつくった。ここでも『冬ソナ』のテーマ曲が流され、主婦ばかりか女子中学生までが口ずさみ、「韓流に関心を持っていたが、韓国人に会う機会がなかった。会えて嬉しい」の声も。
ことのほか喜んでくれた被災者たち、同じく炊き出しする仲間としてエールを交換した自衛隊員、福岡県からトラックで駆けつけお粥の炊き出しをしていた帰化同胞とその友人。小千谷市での炊き出しで最初の配膳を受け、男泣きしながら語った被災者の言葉が忘れられない。
「韓国の方々が支えてくれて嬉しい。本当にいろいろな人に支えられている」。スタッフにも心にしみる出会いがいくつもあった。
(2004.11.10 民団新聞)