掲載日 : [2005-01-26] 照会数 : 7900
大震災…支え合った10年。これからも…(05.1.26)
[ アトラクションに見入る子どもたち ]
[ 10年前の炊き出しを再現した婦人会兵庫県本部会員 ]
共感呼ぶ民団の理念
あの日の苦闘を語り継いで
催し多彩…日頃の協調映す
「震災10年‐追悼と共生・共栄の集い」には、兵庫県、神戸市、駐大阪総領事館神戸事務所が後援し、中国、ベトナムなど多くの外国人団体が協力した。また、これまで民団とかかわりの薄い同胞や日本人のボランティアもはせ参じた。定住外国人の先行団体である民団の理念が共感を呼び、民団を先頭に他の外国人団体が雁行(空を飛ぶ雁の列の形)を形成している証しだろう。会場には、震災の災禍と痛切な思いは忘れない、しかし、多文化共生の社会づくりに邁進することが真の再生への道だ、とのメッセージがみなぎっていた。
冷え切った身体を温めて好評だったのが、式典開始30分前から無料で振舞われた婦人会兵庫本部のトック。これは10年前の炊き出しを再現したものだ。ステージがしつらえられた広場を囲んだ屋台は、民団関係のほかに金剛学園PTAと教職員によるトッポギやホルモン焼き、近畿産業信組の焼きそば、さらにはベトナム、ペルー、ギリシャ、ブラジル、インド、モンゴル、タイなどのお国自慢がズラリ。
ところどころにストーブが置かれたとはいえ、冷気は骨身にしみた。それにもかかわらず、式典とアトラクション合わせて5時間余の間、屋外会場は終始賑わいを見せた。舞台では金剛学園の児童生徒たちによる舞踊やテコンドー、宝塚韓国学園の合唱、地元クラブのアスタルティルパン(太鼓)、ポトワ(インドの紙芝居)、東方文化芸術団の中国舞踊と多彩で、高砂市立宝殿中学校ブラスバンドのアリラン演奏があるかと思えば、韓国で修行した漫才コンビ・チングも駆けつけた。
第2会場のピフレ会館大ホールでは、阪神淡路大震災からの復興に力を尽くし、現在は中越地震の被災地にも手助けをしている女優の黒田福美さんの「被災地からの芽生え」と題した基調講演があった。黒田さんは「被災地カタログ〈がんばってますKOBE〉」を作成、商店街復興に一役買ったことで知られる。
つづいて、パネルディスカッション「学ぶ、発信する多文化な街づくり」が行われた。パネリストには黒田さんをはじめ、神田裕さん(たかとりコミュニティーセンター代表)、李成俊さん(民団兵庫防災対策委員会副委員長)、ハティタンガンさん(NGOベトナムinKOBE代表)の4人。コーディネーターは全美玉さん(民団兵庫防災委副委員長)が務めた。ここでは約200人が熱心に耳を傾けた。
震災直後、韓国会館に韓国語のFM放送局ができた。ベトナム語でもやらないかと話があり、現在は8カ国語で放送されている。差別と闘い、共生を訴えてきた在日韓国人が周囲にいたから、助かったベトナム人がたくさんいた。こうした体験から、ベトナム人も自立しようと3年前にNGOを立ち上げた。在日同胞には大震災時、関東大震災時の大虐殺が頭をよぎった人が少なくない。だが、国籍、民族、文化を超えて協力し合えることを知った。この貴重な事実を全国にもっと知らしめるべきだ。
こうしたさまざまな体験談と教訓が語られた。まとめとしては、自己の生活文化を尊重しながらも、日常から小さな協調を積み上げていくことの大切さが強調された。
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多文化共生宣言 要旨
昨年は「台風23号」「中越大地震」、そして海外では「スマトラ沖大地震」と立て続けに大きな自然災害に見舞われました。
われわれは10年前の、あの突然の忌まわしい「阪神淡路大震災」を想起させられました。家族、友人、そしてかけがいのない人々を多く失い、幸いにして生き残ったわれわれは、犠牲者の無念、遺族の痛惜を忘れてはならない、と深く思います。 犠牲者の中には、外国籍を持つ人々も多くいました。現在も県では10万人を超える外国籍を持つ人々が生活をしています。外国籍とは言え地域住民であり、兵庫県民でもあります。
大災害というのは民族や国籍を超えて襲うということを再認識もしました。同時に、人間一人ひとりは無力だということも知りました。われわれは住民の一人として、地域の人々と手を携え、助け合わなくてはということも再認識したのです。「共生」という言葉は日常的な言葉だとは思いますが、大震災という体験を通じて、「共生」という言葉を概念だけでなく、重い、深い意味だと痛切に思い知ったのです。
地域のみなさんにアピールします。地域の活性化のために、民族・国籍を問わず、すべての地域住民が異なる文化や生活習慣、価値観を理解し、ともに支えあうことにより、多文化共生社会を実現しましょう。
同胞、外国籍を持つ方々にアピールしたいと思います。ともに協力して住みやすい町に育てましょう。みんなが一緒になって真に多文化を育て、全世界に向かって誇れる町にしようではありませんか。
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共生の芽生えを大事に
白永煕団長挨拶(要旨)
震災当時、あれだけ苦しい状況のなかでも日本人、外国人の関係なくお互いに助け合い、励まし合い、口先だけではない真の「共生」が芽生えていたことを覚えています。われわれ外国人には有形無形のハンディキャップがありますが、この「共生」の芽生えから実をみのらせなければならないと思います。この集いを日本人と外国人が仲良くし、助け合い、「共生のまちづくり」の実現を目指すステップの場にしていければと思います。
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参加者に聞く
●南相国さん(80=千鶴ゴム工業所会長。民団西神戸支部常任顧問)
気がつけばタンスの下敷きになっていた。何とか這い出し、着の身着のまま外へ飛び出した。会社も家も全壊。50年かけて築いた財産がたった15秒でなくなってしまった。言葉を出す気力もなく、ただただ涙がこぼれ落ちた。
当時、西神戸支部の支団長だった南さんは、会社再建は息子に任せ、被災同胞の救援と全壊に近かった支部会館の再建に奔走した。支部にはワラをもつかむ気持ちでたくさんの同胞が訪れ、民団の存在の大きさを思い知ったという。
「10年間閉ざしていた思いを初めて話した。心のつかえが少しおりた」と語る南さんの目に、うっすら涙が光っていた。
●劉正子さん(62=居酒屋経営)
朝5時にオープンする喫茶店を経営していて、出前の準備中だった。下から2回突き上げられ、棚のものが崩れ落ちた。自宅は全壊。主人と娘が何とか抜け出していた。半年後、「コーヒーを飲む余裕などない」と、区画整理した跡地にお好み焼き屋をオープン。ご主人の仕事(ミシン加工)も幸い復活し、5年前に自宅の下に居酒屋を開いた。
2年前にご主人が亡くなった。「やっとの思いでここまで来たのに、震災の心労でしょうね」と声を震わせた。娘さんも結婚し、今は馴染み客との何気ない会話が癒しになっているという。
●鄭淳烈さん(56=神戸ゴム工業協同組合理事長)
長田区のケミカルシューズは壊滅状態で、当時は再起不能と言われていた。自らもゴム関連の会社を経営する鄭さんは、「あの時、みなが苦渋をなめた。しかし、神戸の地場産業の灯を消してはならないとみなが助け合い、協力し合ったから現在がある」と語る。現在の組合員は58社。
「やっと10年。この重みを風化させることなく、地場産業の発展に尽くすつもり」と力強い。
●プレム・チャブラニさん(39=インド料理店経営)
店が倒壊したが、「困っているのはみな同じ」と三宮で炊き出しをした。震災10年のこの催しに参加したのも、「少しでも役に立てれば」との思いからだ。
「昨年暮れの南アジア大津波を見て、フラッシュバックした。10年前が昨日のことのように思い出される」と涙ぐみ、「この10年の思いを忘れることなく、次の世代に語り継いでいきたい」と話した。
●ハティ・タンガさん(43=NGOベトナムinKOBE代表)
来日して24年になる。震災で家が半壊した。ベトナムには地震がないので、当時は大変な思いをした。その時、ボランティアの人たちにたくさん助けてもらったという。
「神戸には韓国、中国、いろいろな国の人が住んでいる。みなが協力し合って共生すること、共栄することをこの10年で学んだ。これからもその教訓を忘れずに頑張りたい」。
(2005.1.26 民団新聞)