掲載日 : [2005-04-13] 照会数 : 9239
<教科書問題>東アジア共生の観点を堅固に(05.4.13)
[ 4年前は国際連帯で「つくる会」教科書の採択を阻止した。写真上は文部省を取り囲んだ人間の環 ]
来春から使われる中学校用歴史教科書では、各社とも日本のアジア侵略や植民地支配にともなう加害の記述を大幅に減らすか、表現を後退させた。「新しい歴史教科書をつくる会」のプロパガンダと、それと連動する一部の保守政治家や行政機構が圧力を強めた結果と言える。21世紀前半の東アジアは、世界で最大かつ最も強力な経済圏になる公算が大きいとされる一方で、世界で唯一、大国間の領土問題が存在することから、大規模な戦争が起こる可能性が最も高いとも言われてきた。であれば、前者の明るい側面を最大限に拡大することが域内の国々や人々の最優先の務めのはずだ。それを支える大きな柱の一つは、過去と真摯に向き合い、東アジア共通の未来を志向することにある。歴史教科書問題への対応は、民団がこれまで掲げてき、幅広い支持を獲得してきた多民族・多文化の共生、その先にある東アジアの共生理念をより堅固にすることが機軸になる。
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加害記述なぜ急減…
当局の圧力明らか 政府見解どこ吹く風
「つくる会」が編集を主導し、扶桑社が出版した「新しい歴史教科書」以外でも、7社すべてで加害記述が大幅に減り、言及しても表現があいまいになった。まさに、悪貨が良貨を駆逐する現象と言うほかない。
「慰安婦」記述 今回はゼロに
前回まで7社が記述した「強制連行」は2社にとどまり、「強制的に」の文言削除や「動員」と言い換えるケースが目立った。「慰安婦」に至っては、今回の申請時はゼロとなり、「慰安施設」との表現を残したのも1社に過ぎない。「慰安婦」は、95年度の申請時に各社が一斉に記述(「慰安施設」も含めれば全7社)していた。
教科書会社といえども、一定のシェアを確保しなければ成り立たない。「つくる会」や右派勢力による執拗なプロパガンダや威嚇、保守政治家や行政機構による記述への介入、さらには現場教員の意見をシャットアウトする採択制度への改変など、これらが多大な圧力になって、教科書会社はしり込みせざるを得なくなっている。
歴史教科書の検定基準の一つに「近隣諸国条項」がある。アジア侵略・加害の事実をあいまいにする検定姿勢が問題になった82年、日本政府は「我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大な苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意」を表明し、そのうえに立って「アジア諸国との間の近現代史の歴史的事象の扱いに国際的な理解と国際協調の見地から必要な配慮」を求めたものだ。以来、今日に至るまで破棄されていない。
鄭東泳・韓国国家安全保障会議常任委員長が3月17日発表した声明に対し、町村外務大臣は同日付の談話で、「本件声明に示された韓国国民の過去の歴史をめぐる心情については、我が国政府として重く受け止める」と述べ、「我が国は、アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を謙虚に受け止め、韓国国民の気持ちに深い理解と共感を持って臨む必要」があること、「95年の村山談話、98年の日韓共同宣言及び2003年の日韓共同宣言を踏まえ、過去を直視し、反省すべきは反省しつつ、和解に基づいた未来志向的な日韓関係を発展させていく強い決意を持っている」ことを表明した。
村山談話とは「戦後50年にあたっての村山首相談話」のことだ。「植民地支配と侵略」の事実を認め、「痛切な反省」と「心からのお詫び」を表明し、「近隣諸国条項」を設ける際の政府見解より一歩踏み込んだ内容になっている。98年の共同宣言は、「村山首相談話」を踏まえ金大中大統領と小渕首相が署名したもので、新時代を開く「韓日パートナーシップ宣言」と称賛されたのは記憶に新しい。そして03年の共同宣言は、盧武鉉大統領と小泉首相という、現政権の手になるものだ。
「近隣諸国条項」は生きており、町村外相が再確認したように、これまでの政府見解や韓日共同宣言を踏まえる姿勢にも変わりないという。それなのになぜ、95年の申請時にはあった過去の加害事実にきちんと向き合おうとする記述が、急速に姿を消したのか。
95年以降、98年に日本列島越しの「テポドン発射」騒ぎ、翌年の不審船進入事件に続き、核開発疑惑の再燃や日本人拉致事件などによって北韓と日本の間には緊張が高まった。日本には北韓に対する憤慨があり、その北韓に包容政策をとる韓国政府に不信が募っているから、あるいは中国との関係を含む東北アジア情勢が不透明ななかで、日本の先行きに対する不安がナショナリズムを高揚させているから、と見る向きもある。
しかし、それでは説明にならない。先の町村談話でも、「重要な利益と課題を共有している」韓日両国は、「パートナーとして、北朝鮮核問題や東アジア共同体の構築といった課題にともに取り組んで行かなければならない」と言及されており、こうした認識は韓日間で定着している。02年にはサッカーW杯韓日大会を成功させ、盧大統領と小泉首相は蜜月時代を演出してきたばかりか、韓流現象が日本を覆った事実も軽くはない。
韓日関係は国交正常化以来、最も良好で成熟しつつあった。しかも今年は韓日・日韓友情年として、大規模で多彩な行事が予定されていた。教科書問題で韓日関係を一挙に暗転させる時代的な空気が日本にあったわけではない。
これまでの政府見解や韓日共同宣言を単なるお題目に変えてしまう作意が、日本政府の内部で働いてきたと言うほかない。日本政府は教科書問題について、「執筆者の歴史観にまで検定意見はつけられない」との立場と、「言論の自由」を尊重する意味からも多様な教科書の登場を否定できないとの見解を再三表明してきた。それ自体には何の問題もない。かつて、自国民にばかりかアジア諸民族にも皇国史観を押し付けた日本に限れば、なおさら正しい。
であるならば、その建前は押し通されるべきであり、それを隠れ蓑にした作意は許されるものではない。一例を先の談話を発表した町村外相に見ておこう。
建前と言動に 矛盾のひどさ
「つくる会」が結成された翌98年、「自虐史観」一掃のキャンペーンに合わせるように当時、文部大臣だった町村氏は、既存教科書は偏向していると指摘し、「近隣諸国条項」などがあって検定では記述を変更させられないので、出版社に自主規制させる旨を国会で述べた。これを受けて99年1月には、文部省幹部が出版社を訪れ、従軍慰安婦などの記述を慎重にするよう申し入れている。同年12月に森首相の教育担当補佐官に就いた町村氏は、事務方に指示して出版社に直接電話を入れさせ、同様の圧力をかけている。
これなどは建前を隠れ蓑にするどころか、自ら踏みにじったものだ。明らかにその結果として、加害記述は大幅に後退した。多大な損害と苦痛を与えた歴史事実や韓国の歴史をめぐる心情を謙虚に、重く受けとめるといった立派な談話と実際の言動とのひどい矛盾をどう見ればいいのか。検定制度に理解を示す韓国の政府や国民でさえも苛立つ理由がここにある。
教科書会社が自ら律して加害記述を後退させたとは、近隣諸国はもとより良識ある日本の人々も信じてはいない。政府見解を踏まえると言った同じ口先でそれを反古にする。「言論の自由」を盾に、特定の歴史観や多様な教科書の登場を排除できないとし、「つくる会」教科書を誕生させておきながら、他社には公然・非公然の圧力を駆使して「自主規制」を強いる。言論の自由を一方では保障し、一方では封殺する。しかし、こうした手法はそろそろ限界に達していると見るべきだろう。
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採択阻止鍵は何か…「市民教育」前面に地域・国際重視促そう
現場に強まる 政治家の圧力
日本政府は、「自主規制」問題や検定制度の運用面では関与をはぐらかし、後は採択の問題、つまり「市場」が決めるとの態度だ。しかし、採択制度にも作意が働き、「つくる会」に都合がいいように改変された。この点については、そう簡単にはごまかせない。
「つくる会」は01年の採択で惨敗した理由の一つを、学校ごとに希望票を出して教科書を決める制度や、選定のための委員会に現場教員の代表が参加し、その委員会の結論を尊重するシステムに転嫁した。この仕組みを槍玉に挙げ、政治家の圧力で文部科学省に通達を出させ、地方議会の決議を動員するなどして、現場教員の意見を排除して教育委員だけで決める制度に変えさせた。
教育委員は、地方公共団体の長が議会の同意を得て任命する。各地ですでに、「つくる会」直系やシンパがメンバーに入り込んでいる。前回、採択率が限りなくゼロに近かった「つくる会」が今回、10%採択を豪語する理由はここにもある。これを後押ししているのが現政権はもちろん、歴代政権と一体であった自民党だ。「歴史教育の問題は、憲法改正、教育基本法改正の問題と表裏一体の重要課題」(04年6月=安倍幹事長通達=当時)との認識のもとに、今年1月の党大会で採択運動に注力することを決めている。
国際労働機関(ILO)やユネスコの「教員の地位に関する勧告」は、教員は教科書の選択に当たって不可欠の役割を与えられるとしている。日本政府自らも「将来的には学校単位の採択の実現に向けて検討していく必要があるとの観点に立ち、当面の措置として、教科書採択の調査研究により多くの教員の意向が反映されるよう、現行の採択地区の小規模化や採択方法の工夫改善についての都道府県の取り組みを促す」ことを閣議決定(97年3月。98年、99年にも再確認)している。採択制度改変は、閣議決定が示す方向にも逆行するものだ。
「つくる会」主導の教科書を採択させるために、なりふりは構っていられないらしい。であるならば控えめに見ても、「つくる会」主導の教科書こそ、政府と一体である自民党の意思、歴史観の体現であると判断せざるを得ない。
「つくる会」主導の歴史教科書は、124件の検定意見に基づきすべての修正に応じて合格した。「修正表」はまだ一般には公開されていない。だが、各紙の報道を総合すると、近隣諸国を貶めることで誇りある日本を強調し、国家主義的な思潮をにじませるトーンはむしろ鮮明になった。
日本の美化でアジア貶める
検定意見によって表現は緩やかになったとしても、例えば韓半島について、中国文明を日本に伝える通路に過ぎない半面、日本の安全を脅かす地政学的な位置にあるかのように印象づける狙いは残されている。古代遺跡の多くが高句麗、新羅、百済それぞれの様式に分類されるほど、日本は韓半島諸国の独自文化から大きな影響を受けた。また、日本にとって韓半島国家は、大陸に勃興した諸勢力の膨張に対するディフェンダーの側面もあった。これらを無視した記述は、日本の成り立ちを美化するために、韓国を貶める典型であろう。
また、太平洋戦争(「つくる会」は大東亜戦争と呼称)について、「自存自衛」のためだったが、アジア諸国の独立を早めた、との趣旨は修正後も、「もともとは資源の獲得を目的としたものだったが、アジア諸国で始まっていた独立の動きを早める一つのきっかけともなった」という記述で残った。それと関連した「アジアの人々を奮い立たせた日本の行動」と題するコラム(マレーシア独立運動家の著書からの引用文)も掲載されている。
アジア侵略と、そのために植民地の物的人的資源を強制動員したことを合理化・正当化したものでなくてなんであろう。「多大の損害と苦痛を与えた歴史事実」とどう整合するのか。そうした教科書でさえ「言論の自由」によって許容されるとしても、政府と一体の自民党が採択を全面支援する名分はない。
歴史教科書の採択は8月中に行われる。前回を上回るせめぎ合いが展開されることは確実だ。閣議決定は骨抜きにされているものの、決定が示したように教科書の採択は本来、地区を小規模化し、さらには学校単位へと進む流れにあった。これが反転し、新しい国家主義の台頭にともなって、かつての「国民教育」への回帰が模索されているのが現在の状況だろう。
地方分権を進める一方で、国際化を促進しなければならない日本のこれからの歴史教育には、少なくとも地域市民、(日本の)社会市民、さらには世界市民の三つの次元が必要になる。この市民教育の概念は、閣議決定の本来の趣旨に沿うものでもある。国家としての日本の統一性とその正当性確立に奉仕し過ぎるあまり、アジアに惨禍をもたらした「国民教育」への反省を怠り、それに回帰しようとする動きに抗することにもなる。
市民教育の概念はまず地域で、次には日本社会で多民族・多文化共生の実現を訴え、さらには東アジアの共生を理念として掲げ、それぞれの地域あるいは日本社会全体で、すでに重要な役割を果たしている民団の要求とも合致するものだ。地域に根ざす公立中学校向けの現行の採択制度はまだ、地域の声を反映させる道を十分残している。前回の採択時以上に、まず地域からの韓日市民連帯の強化が急がれる。
(2005.4.13 民団新聞)