掲載日 : [2005-04-13] 照会数 : 6427
細倉鉱山・封印された歴史に光(05.4.13)
[ 同胞の遺骨を改葬したとされる無縁仏碑を指す金さん(満蔵寺で) ]
細倉鉱山・徴用韓国人の遺骨を調査…
宮城県北部で金正吉さん
【宮城】宮城県北部の細倉鉱山に徴用され、異郷で人知れず眠る韓国人の遺骨を探し出そうと、地元に在住する在日同胞が手弁当で独自の調査活動に取り組み始めた。調査には友人知己の縁で町会議員など地元の有力者8人の協力を得ている。一定の概要を把握できれば、駐仙台総領事館や民団宮城県本部の協力を得て遺骨を故国に返してあげたいと話している。
この同胞は金正吉さん(65)=遠田郡涌谷町、民団宮城県本部議長。金さんが細倉鉱山に徴用され、犠牲となった韓国人について調べるようになったのは、自らのルーツについて語るとき、細倉鉱山を避けては通れないからだった。
同鉱山は金さんが生まれ育った栗原郡若柳町にほど近い同郡鶯町にあって、日本でも有数の鉛と亜鉛の産出地だった。第2次大戦中はここから産出された鉛や亜鉛が、東京方面に送られ、弾丸や薬莢の材料となった。第2次大戦末期には多くの韓国人を徴用したであろうことも内部資料で明らかになっている。多くの犠牲者も出たであろう。そう考えると金さんはいたたまれなかった。
しかし、徴用韓国人の事故犠牲者について聞き取りを始めたものの、民団役員の名刺を見た住民の口は一様に固く、知らぬ存ぜぬの態度になるのが常だった。「それを調べて何をするの」。誰もが不安がっているのは明らかだった。地元の自治体や古老を訪ねても「資料なし」「明白ではない」との答えが返ってきた。
一計を案じた金さんは小・中学校時代の日本人同級生に頼った。協力者はすでに8人に達している。この中には町会議員など地元有力者も3人含まれている。この結果、鉱山の所在地である共葬墓地にかつて細倉鉱山で亡くなった同胞の墓があることをつきとめた。
証言したのは鶯沢町の満蔵寺で寺守をしている85歳くらいのおばあさんだった。金さんが共葬墓地を訪ねたところ、それらしい土盛りは雑草に覆われており、朽ち果てた古木が横たわっているだけだった。
調査はまだ始まったばかり。金さんは今後は古老からの聞き取りを継続しながら、知人の住職を通じて仙北の各寺に無縁仏の有無を照会する方針だ。さらに、町議を通じて関係自治体に正式に調査を依頼していくという。徴用韓国人の遺骨調査については先の外相会談で日本政府としても取り組みを約束しているだけに、今後なんらかの進展が見られそうだ。
金さんは「個人では限界があるが、ある程度のアウトラインだけでも究明したい。そのうえで民団宮城本部や総領事館につないでいく」と話している。
細倉鉱山と同胞
細倉鉱山から産出された鉛と亜鉛を運び出すため、当時、現場と東北本線石越駅を結ぶ私鉄が敷設された。沿線の約36㌔㍍の自治体は鉱山景気にわき、約150世帯の同胞が移り住んだ。これらの同胞が解放後、民団宮城・仙北支部を形成する核となった。
(2005.04.13 民団新聞)