掲載日 : [2005-04-27] 照会数 : 6783
<2500号の足跡>1.民団結成(05.04.27)
[ 帰国しようと山口県仙崎に集まった同胞たち(1946年) ]
共同体の要求に根ざした民団…試練克服 生活者団体へ磨き
民団結成 生業・食糧・住居の確保…民生重視へ団結探る
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特定の政治的主張とは一線
民団新聞の「創刊の辞」は、編集方針として、「如何なる主義主張に固執する事なく民生問題、文化向上、国際親善の質をあげるべく邁進」することを掲げた。当時から民団は、特定の政治的な主義主張とは一線を画す立場を繰り返し表明している。
だからといって、民団に主義主張がなかったのではない。民団は組織的な性格を自ら「生活者団体」と自認し、特定の政治的立場に偏向することなく、あくまで生活者の視点からの主義主張に徹しようとしたのだ。それはまた、構成員個々人の政治的な信条については、大同団結の観点から問わないことを前提にしたものでもあった。
第2号(47年2月28日付)ではすでに、民団の基本精神の一つとして「生活人の正しき信念」という概念が提示されていた。光復から間もない45年10月に、全在日同胞を網羅して結成された在日朝鮮人連盟(朝連)の指導部は、在日同胞を日本の革命・階級闘争に動員すべく血眼になっていた。そうでなくとも同胞たちは、旧支配国の日本で厳しい環境に置かれていた。民族共同体としての本然の欲求から逸脱し、同胞を特定の政治勢力化すれば、破滅の淵に追いやられる。こうした危機意識から結成されたのが民団だ。「生活人」とは、政治的な熱病から同胞共同体を守ろうとする概念であった。
46年10月3日の民団結成大会で採択された宣言には、民団を結成する「生活人の信念」が凝縮されている。そのなかで、「決して一種の思想、政治団体ではなく、また本国、或いは海外の特定な思想、政治の主流にも偏向するものでなく、その中のある一つを支持し或いはこれに加担するものでもない」ことを闡明(せんめい)していた。
この時期に定まった民団のスタンスはその後、激動する祖国南北の情勢と、それに連動する在日社会の葛藤が増幅する過程で、たびたび厳しい試練にさらされた。しかし、異境にあるからこそ、国際人としての節度を守り主張すべきは堂々と主張する、普通の「民」の生活者「団」体としての自覚を支えに、危機を乗り越える過程で自らを鍛え、不動のものにしてきた。
私たちはこうした基本姿勢を、敬意を込めて創団精神と呼んでいる。では、これはどう導き出されたのだろうか。草創期の民団を取り巻く諸情勢と団員の時代認識がよく示されている結成宣言を吟味すべきだろう。
【対日本】解放から時間がたつにしたがい、基本的人権がおろそかにされ、社会的には日帝時代に戻る傾向すらある。【対本国】国内外の課題が山積して多事多難であり、在留同胞の問題にまで手が回らない実情にある。【対同胞】法的地位は不安定で、経済的には破綻線上をさまよっている。
宣言はそのような認識を示したうえで、在日同胞問題について、「本国が独立し、主権が対外的に発動されるのを待つには、あまりにも深刻で緊急を要する」と結論づけ、民団を「全員帰国するまで一致団結して各自の義務を忠実に守る自治機関」として自己規定した。祖国、居住国いずれの国家的な保護に恵まれない八方ふさがりの寄る辺なき民であった同胞たちの、民団を結成する切羽詰まった思いが伝わってくる。
民団は当時、同胞たちに何が最も必要だと考えていたのか。結成宣言はかなり具体的に言及している。まず、同胞の生活が極度に逼迫しているとして、「生業を持たしめ、食糧及び生活必需品を確保すると共に、住宅難の緩和」に努めるとした。さらに、「共存共栄のため東洋の平和を期す」とし、同胞各自にはそれにふさわしく道義・法令を遵守し、国際人として人格向上を図るよう呼びかけた。また、祖国の健全な発展に資する人材育成のために、青年運動の積極的な展開と女性の地位や資質向上を期すとした。生活は苦しいながらも、国際信義を全うしつつ、新祖国建設の担い手としての矜持を育もうとする強い意志がにじんでいる。
創刊号の記念すべき紙面に、「在日同胞居留民大会/生活危機を突破すべく/日比谷を震動させた同胞の雄叫び」などの記事とならんで、シリーズの「常識講座」が設けられたのもその反映だろう。これは、毎土曜日に民団中央本部講堂で開催された「常識修養講座」を収録したものだ。テーマは幅広く、講師も著名学者やジャーナリストなど多彩である。
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創刊当時から講座も多彩に
講座の第1回目は京城帝大や東大教授を歴任した法哲学者の尾高朝雄氏で、テーマは「国民総意に依る政治」だった。その後、韓国文化に洞察の深い宗教哲学者で民芸運動家として知られる柳宗悦氏も、「世界芸術に於ける朝鮮の位置」と題して登場した。初代団長・朴烈氏自らの執筆も多く、「新朝鮮生活革新運動の提唱」とのタイトルで連載された論文では、目標は高く協調すべきは協調する作風の大切さを説き、組織成員としての自覚を促している。
一方で、民族の誇りを取り戻すための啓蒙・教養物も盛んで、「朝鮮歴史講座」は古代編からの意欲的な連載であった。3・1節や8・15光復節に際してその意義を再確認する特集はもちろん、安重根義士の命日には祖国独立の大儀に殉じた足跡を偲ぶなど、歴史的な節目を契機に民族的な自覚を促す企画が随所にある。独立運動の擁護に尽力し続け、日本人として初めて韓国の建国勲章を受章した布施辰治弁護士も「三・一運動の追憶」と題して寄稿していた。
また、「協同組合の理念と実践」(東京都生活協同組合購買利用組合連合会の本間清子氏)というテーマの実務講座もあった。これは47年4月に発足した「民団協同組合」に備えた学習教材だろう。この待望の組合誕生のニュースは、「在日同胞の協同組合生る/六十万の生活安定に貢献」「提携と融和を促す/民主的訓練にも貢献/組合設立の意義頗る大」との見出しで大書されている。
この頃の民団新聞には時折、「新聞ラジオを通じて多少知り得る外、本国との連絡不十分のため、本国情勢、建国途程の正しき動態を知り難く、不安焦慮」といった記述がある。そこで、建国準備にかかわる要人が渡米の行き帰りに日本に立ち寄る際には、必ず「本国情勢聴取会」を開いていた。民団新聞の時局論説は同胞たちにとって、貴重な情報源であったろう。紙面にはまた、民団の地方本部・支部や経済・文化団体などが相次ぎ結成されていくニュースが踊っているほか、各種懸賞論文の募集公告や同胞向けの出版物案内が掲載されている。渡日から現在に至るまでの同胞の苦難と波乱に満ちた境遇をユーモラスに描いた「四十年の嵐」というタイトルの小説が創刊号から連載されていた。
(2005.04.27 民団新聞)