掲載日 : [2005-08-15] 照会数 : 9911
<光復節60周年>友情の大輪を必ず咲かそう
[ 韓国の児童とも交流したソウル・オリニジャンボリー=04年8月 ]
多文化共生「韓日未来月間」で一層加速へ
独・仏・ポーランドの先例ふまえ
今年は「韓日・日韓友情年」にもかかわらず、独島問題勃発以降スポーツや文化交流の企画が中止されるなど、せっかくの看板が揺らいでいる。しかし、韓日両国の「友情」は今年だけのものではない。両国の人々の日常的な友情を実現するため、特に青少年の交流がしやすい8月を恒常的な「未来月間」とすることを民団は提案(金宰淑中央団長の慶祝辞)した。ドイツを中心とした試みに例をとって、その意味を考えて見よう。
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夏休みこそ 好機
歴史や文化に触れ祭り楽しみ…青少年同士が心を開いて
8月の意味を互いに考えて
8月は韓日ともに、近現代の歴史を振り返るメモリアル・シーズンでもある。8月15日に韓日の少年少女たちが同じ場所に集い、互いの歴史について語り合うイベントがあっていい。交流テーマも歴史やスポーツだけでなく、映画や音楽、漫画に料理やファッション、ゲーム大会や祭りがあってもいいだろう。
8月に韓国や日本各地で、様々なテーマで様々な出会いの機会を連日連夜設けるのだ。そこでは表面的な交流やきれいごとだけではなく、本音を語り合うまでとことん付き合いたい。論争や喧嘩もあるかもしれないが、そういう本音の友情を培う機会を、様々な場所で立ち上げるべきだ。そのモデルは、不幸な過去を背負うがゆえに、隣国との信頼関係回復に努力してきたドイツに見ることができる。
「過去に目を閉ざす者は、現在にも目を閉ざすことになる」とは、85年のドイツ敗戦40周年の式典での、当時のドイツ連邦共和国(西ドイツ)・ワイツゼッカー大統領の言葉である。この言葉は、ドイツの政治家が過去のあやまちに対して真摯に取り組んでいる姿勢を示すものとしてよく引用される。実際、西ドイツは、第2次大戦の交戦国であった東西の隣国(フランスとポーランド)との和解交渉を、半世紀も前から熱意を込めて進めてきた。
人の交流から和解進めた独
独仏間では、終戦直後から様々なレベルの交流が始まっていたが、当初は東西冷戦を背景とした、アメリカ軍及びNAT0(北大西洋条約機構)軍を軸とした軍事的な要素が強かった。特にフランス側に伝統的にドイツへの警戒感が強く、実際、50年代半ば過ぎまで独仏国境のザール地方の帰属をめぐって両国は対立していた。ザール紛争は住民投票の結果を経て、57年に西ドイツに復帰することで円満解決し、それ以降、両国は急速に接近するようになる。
その背景には、当時の西ドイツのアデナウアー首相、フランスのド・ゴール大統領という2人の政治家の力量に負うところが多いとの指摘がある。ド・ゴールが大統領就任後、アデナウアーは頻繁にフランスを訪問し、ド・ゴールもその熱意に応え、後に2人は個人的にも友情を深めたという。この2人によって63年に独仏条約が締結され、両国関係は全面的に正常化した。
この条約には、何かともめごとが多くなりがちな隣国関係を友誼と信頼に基づいた《真の友人》に高めながら、その友情を永遠に続けていこうという強い意志、そしてその実現のための様々な試みが盛り込まれている。 条約最大のポイントは、両国の人々の交流を《義務化》している点である。国家元首ないし政府首脳は少なくとも年に2回、外相は3カ月ごと、両外務省高官は2カ月ごとに会合を持たなければならないとしている。さらに87年からは、外交官交換制度も始まった。半年から2年の間、相手国の外務省に赴いて、相手の側に立った外交的視野を修得するのが目的だ。
韓日間でも一部の地方自治体が職員交換を実施しているが、独仏の場合、交流は政府首脳や国家公務員など高レベルの役職から率先して行われている。
さらに条約では、青少年交流計画の実施も定められている。両国政府に青少年交流の担当大臣を置き、担当大臣を議長とする理事会が交流の実施を監督する。その理事会の下に交流を実際に運営する事務局が設けられ、トップの事務総長は、ドイツ人とフランス人が5年ごとに交代する。本部もそのつど移動するが、ドイツ人が事務総長になったときはフランスに、フランス人が事務総長になったときはドイツに本部が置かれるシステムになっている。あくまでも用意周到である。建前や口先だけではなく、本気で友好関係を未来永劫にわたって築いていくのだという《熱意》がひしひしと感じられる。
実際の青少年交流は69年にスタートしたが、創立5周年の総括文書は、その成果が極めて著しいと報告している。
ユダヤ人から体験聞く試み
ドイツの東隣・ポーランドとの全面的な国交正常化は東西ドイツ統一(90年10月)以降になるが、すでに70年に当時の西ドイツ・ブラント首相が、ワルシャワの旧ユダヤ人ゲットー記念碑前でひざまずくという印象的な謝罪の姿勢を見せている。そのような信頼関係醸成の中から、現在では共通の歴史・地理教科書編集のガイドライン作りが進められるなど、フランスとの間で続けている交流のシステムは、そのままポーランドにも転写されつつある。
独仏ポの3国外相会議の定期開催が決まり、3国首脳会談の定期化も検討されている。青少年交流も、対フランスと同様なシステムがすでに広範に実施されている。交流は、さらに東ヨーロッパ各国に広がりつつある。 青少年交流の具体的な内容としては、生徒(中高生)交換、スポーツ交流、サマーキャンプなどが柱である。生徒交換とは、相互に3カ月から10カ月の短期留学をする制度で、例えばバイエルン州では、年間で700人程度が近隣諸国の学校に通っている。
ドイツでは、過去を直視させる歴史教育が連邦政府の指導要領に盛り込まれているが、ポーランドで行うサマーキャンプでは、旧ナチスのユダヤ人ゲットー跡やナチスに迫害されたユダヤ人の老人から直接体験談を聞くなどのスケジュールが組まれている。
政府主導の青少年交流事業ばかりでなく、各州や自治体、NGO(非政府組織)独自の青少年交流事業も盛んになってきて、その相手対象国も増えつつある。
公的機関ばかりでなく、若手社員研修の一環として、歴史を直視するための交流を実施している会社もある。例えばVW(フォルクス・ワーゲン)社は、ナチス時代は国策企業で、ナチス支配下の20余カ国から約3万人の男女が連行され強制労働をさせられていた。工場敷地にはそれら強制労働の犠牲者を悼む石碑が建てられ、工場に勤める労働者たちは、毎日石碑を眺めながら出勤している。同社ではまた、毎年約20人の若い社員をポーランドに送り、アウシュビッツなどで約2週間、学習や建物の補修、敷地の草むしりなどをさせている。
友情の大輪を必ず咲かそう
ドイツの場合、侵略や戦争によって傷ついた隣国との信頼関係の回復とは、賠償金や補償金だけの問題ではなく、あくまでも人と人との出会いの中から生まれるのだという信念が明確だ。戦後60年たっても《隣人に信頼されない》日本、その理由がはっきり見えてくる。
独仏では、首脳の定期会合は条約締結の時点から始まっていたが、韓日のそれは昨年から始まったばかりだ。公務員の交換制度も、国家公務員クラスではまだ行われていない。韓日で地方自治体レベルの交流が活発なのが救いとはいえ、さらに交流の主体を将来の韓日関係を担う児童・青少年に大きくシフトすべきだろう。8月(夏休み)こそ、絶好の季節である。
民団はこれまで3回にわたって、在日同胞子弟のための500人規模のソウル・オリニジャンボリーを成功させて、在日オリニたちが母国を知り、韓国のオリニたちと友達になる機会を提供してきた。そのノウハウは、日本人青少年のための「韓国での友達づくりツアー」として生かせる。同様の趣旨で、韓国からも迎え入れることができる。もちろん、その真ん中には在日青少年がいることになる。8月15日の感慨は韓日で正反対だが、友達ならば相手の立場を理解できるようになるはずだ。
(2005.08.15 民団新聞)