掲載日 : [2005-08-13] 照会数 : 8881
<光復節60周年>写真が語る生活史展…都庁で
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同胞の絆支えにひたすら生きた
在日同胞は解放後、日本政府から権利面では「もう外国人」、義務の面では「まだ日本人」とされ、本国の庇護が及ばない寄る辺なき民として、住宅がない、食料がない、職がないの、ないないづくしのなかで出発した。しかし、同胞たちは共同体の絆を確かめ合い、ひたすら前向きに生きてきた。懐かしい写真の数々から、そんな同胞たちの心根が浮かんでくる。
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①【チョゴリで勢揃い】
秋田県尾去澤町は鉱山町で多くの同胞がいた。47年ごろ、民族衣装で勢ぞろいした婦人たち
②【金属片の回収】
47年、山形県西置賜郡小国町で。小国電工(現・小国セラミックス)が廃棄していた金属片(マンガン、タングステン)を回収しては売り、生計を立てていた。この時代の苦労を忘れまいと撮影した=金洙永さん提供
③【葬儀】
57年2月、ハルモニ金玉花さんの葬儀の際、大阪市東成区東今里の自宅前で。火葬場のある鶴橋まで、親族一同で葬列をつくり棺を運んだ=金勝博さん提供
④【光復節で行進】
光復節を祝い、トラックなどで市街パレードする兵庫県豊岡市の同胞たち。1940年代か
⑤【運動会】
ヨーイ、ドン。真剣なスタート争い。幼くともチマ・チョゴリがさまになる。1960年代の民団青森本部の運動会。萱野茶屋高原で=青森県・李学松さん提供
⑥【パチンコ店開店】
60年代のパチンコ店開店時の記念撮影。店内を覆い隠す暖簾が微笑ましい=青森県・李学松さん提供
⑦【自慢の自転車】
60年代、愛知県岡崎市井田町で。当時は至る所に空き地があり、絶好の遊び場だった。自慢の自転車にまたがって
⑧【廃品回収業】
60年代後半、廃品回収業を営んでいた自宅には廃品が山積みされていた=新潟市・金三中さん提供
⑨【嫁ぐ娘】
嫁いでいく娘(中央のチマ・チョゴリ)を囲んでの記念写真=60年代、福岡県三潴郡城島町で=石隆英さん提供
⑩【マイホーム】
戦時中、東京から新潟県に疎開し、衣食住に苦労しながらも家を建てるまでに。50年代、西蒲原郡巻町で=元甲洙さん提供
⑪【花見会】
52年、山口県宇部市の常盤公園で開催された民団の花見会。民族衣装とチャンゴは欠かせない=韓賢澤さん提供
⑫【ホルモン焼】
名古屋市の親戚を頼って小倉から移住、65年ごろに同胞集住地区の富士宮通り(現・中村区井深町)に開店した焼肉店。暖簾(のれん)にホルモン、とんちゃんの染め文字=韓順心さん提供
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語り継ごう「在日」を= 東京都庁でパネル展
▽時間=17日(13時〜17時30分)、18〜21日(9時30分〜17時30分)、22日(9時30分〜23時)、23日(9時30分〜14時)
▽主催=在日韓国青年会(℡03‐3453‐0881、e-mail:info@seinenkai.org)
▽場所=都庁第1本庁舎45階南側展望室
▽期間=8月17〜23日
(2005.08.13 民団新聞)