掲載日 : [2006-03-15] 照会数 : 10016
王仁博士称え「百済門」起工 大阪府史跡「伝王仁墓」
[ 「百済門」の完成予想図 ]
在日3LCが資金協力
【大阪】百済から日本に渡り、論語と千字文を伝えたとされる王仁博士の功績を顕彰する「百済門」の建設が、大阪府指定の史跡「伝王仁墓」敷地内で始まった。建設資金の多くは王仁博士とゆかりの深い韓国国内の自治体、および在日の各王仁ライオンズクラブ(LC)が協力している。日本で史跡の補修や立て直しにあたり、外国から資金を寄付するのは今回が初めてとされる。
「百済門」は高さが5㍍、幅4㍍の瓦屋根の様式。王仁博士の偉業を称え全羅南道霊岩郡に建つ王仁廟にある門をイメージした。王仁博士が眠るとされる「博士王仁之墓」=大阪府枚方市藤阪東町2丁目=敷地内に韓国の伝統様式に則って建てられる。設計は韓国の朝鮮大学建築科で韓国文化財建築様式の専門技術を学んだ李峰守さん(三真設計、全羅南道和順郡)が請け負った。
呼びかけたのは韓日文化親善協会(尹在明会長)。同協会の創立30周年を前に「王仁塚の環境を守る会」(吉留一夫会長)と二人三脚で04年から準備してきた。05年1月には大阪府文化財委員会の審査を通過し、計画が具体化した。
総工費約2000万円のうち、韓国側は1300万円余りを担う。日本側は現場での基礎工事や礎石づくりなどにともなう残りの約700万円を負担する。
韓国側の費用は全羅南道と霊岩郡などからの寄付でまかなう。日本側負担金はこれまでも「守る会」を物心両面から支援してきた東京と宝塚、京都の各王仁ライオンズクラブが中心となって協力する。なかでも京都王仁ライオンズクラブ初代会長を務めた金有作民団京都府本部団長は建設推進委員長として「百済門」建立に向けて中心的な役割を担っている。
起工式は5日、韓日文化親善協会と日韓文化親善協会の共催で行われ、王仁塚の環境保護に貢献してきた地元住民や大阪と京都の民団関係者ら約80人が参加した。
席上、金団長は「王仁博士を尊敬する人たちが集まってできた私たち3つの王仁ライオンズクラブが協力していきます」と約束した。尹会長からは大阪府教育委員会文化財保護課の丹上務さんに「百済門」目録が贈られた。
王仁塚は奈良から京都観光の中間地点にある史跡として、日本の修学旅行生や韓国からの観光客も多く訪れている。「百済門」がお目見えすれば一層の集客効果を期待できそうだ。
吉留会長は「百済門建設工事の日本国内での進展は東京、宝塚、京都の各ライオンズクラブの支援がなければ実現しないであろう」と期待している。遅くとも9月には完成する見込み。
「伝王仁墓」とは
枚方和田寺に残る古文書によれば、昔から「オニの墓」として住民から祀られてきた。江戸時代になって京都の学者が古文書をもとに王仁博士の墓と考証したことで、住民が「博士王仁之墓」と刻んだ長方形の墓石を建立した。一時は荒れるままになっていたが、85年に結成された「王仁塚を守る会」が墓域を清掃している。毎年8月に「ムクゲ祭り」を開き、生誕地の人を招いて交流している。
(2006.3.15 民団新聞)