掲載日 : [2006-04-05] 照会数 : 8405
孝道賞 入選作品紹介
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中学生・高校生部門賞
親孝行…家族の役立つ人間に
角田友里恵(15)大阪市
私は、怖い夢をしょっちゅう見るので、なかなか寝れない時があったことを覚えています。そんな時は、コッソリ母の所へ行きました。やはり〞母〟というのは、どこか安心できる所がありました。そんな平凡な日が続き、6歳下の弟ができて、私の家族は7人になりました。嬉しかったけれど、「お姉ちゃんでしょ」という部分があったから少し複雑な気分でした。
そんなある日、私が小学校5年の時、母が急に倒れてしまいました。その日から、母は横になって寝るようになりました。母の病気は「くもまくか出血」というもので、病院に行ったけれど、治りませんでした。
私が兄弟の面倒を見る中、父はやっと治してくれる病院を見付けたので、母はそこに入院することになりました。母は手術でしゃべることもできなかったけど、私は母に会うだけで嬉しかったです。私は「早く治ってほしい!」と願ったけれど、母は…帰らぬ人となりました。
父は家事をするようになりました。ふとんをあげたり、洗たく物をほすくらいなら私でもしたことがあるけど、嫌でした。「母さんはこんなのをしてたんだなあ…」としみじみ思いました。私の本当の願いは、もし母が生きていれば、お母さんを安心させたかったです。しかし、今は違います。
それは、今は邪魔な存在だけれど、兄弟に頼られるくらいの姉になって、私を必要とする程役に立ちたいです。自信はないけれど母の変わりに父を手助けしていく事が今の私の本当の親孝行じゃないかと思います。
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中学生・高校生部門賞
無題…母の深い慈愛に感謝
姜祐姫(18)西宮市
私の両親は、私が中学3年生の時に離婚しました。それからは、私を含めた姉妹3人を母親が女手一つで育ててくれています。
母とは、今でこそ仲良しですが、何年か前までは喧嘩ばかりしていました。もちろん大嫌いだと思ったこともあるし、顔も見たくない時期もありました。それは当時、私が母を理解しようと思うことができなかったからです。でも、少しずつ時間が経ち、母と色々な話をするようになりました。そして、いつの間にか自分で作っていた母との壁はだんだん崩れていきました。
私はまだまだ子どもで、母のことを困らせてしまったり、機嫌が悪いときには八つ当たりしてしまったり、迷惑もたくさんかけていると思います。親孝行なんて何一つしてあげられていません。でも母はこんな私を真正面から受け止めてくれます。見捨てないでいてくれます。私は、こんな母が偉大だと思うし、これが母の愛の大きさなんだ、と実感しています。
私は、喧嘩は大切だという考えを持っています。喧嘩をし、話し合いをした後には自分の悪い部分を見つめ直し、相手を思いやる心が生まれます。そうして私と母は今のような関係を築き上げました。
お母さん、産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう、つらい時一緒に泣いてくれてありがとう。私は、母を心底信頼し、尊敬しています。これからも強い絆で結ばれた親子として、いろいろな壁にぶつかったとしても乗り越えていけるだろうと確信しています。
(2006.4.5 民団新聞)