掲載日 : [2006-06-21] 照会数 : 9127
本名呼び名のれる社会に 民族教育にささげた半生…金容海さん
[ 金容海さん ]
教育委交渉に道筋
民団大阪本部勤務当時に民族講師の制度保障も
【大阪】誰もがあたりまえに本名を呼び名のれる地域社会の実現に向けて半世紀の間、実践と運動を積み重ねてきた金容海さん(80)がこのほど、民族教育の一線から退いた。この間、民族講師の制度保障が一定程度進み、民族学級開設校は大阪市内で100校を超えた。金さんの残した大きな足跡を振り返った。
金さんは大阪市立北鶴橋小学校で51年から36年間、民族学級の講師を務めた。在職中、力を注いだのは「本名を名のる教育」だった。一部在日同胞の保護者からは反発も受けたが、家庭訪問を繰り返し、説得に努めた。
金相文さん=東桃谷小学校教諭=は小学校時代の民族学級で出会った。「金容海ソンセンニムは人生の迷い道で必ず登場する恩師」という。同じく北中道小学校で民族講師を務める金徳美さんも「わが師」と慕う一人だ。北中道小民族学級50周年記念行事には金容海さんも御幸森の自宅から自転車で駆けつけ、徳美さんと一緒に喜びを分かち合った。
74年に出版した「本名は民族の誇り」は、大きな反響を呼び起こした。同胞保護者連絡会の会長でもある高用哲さんも金さんの著書を呼んで感銘を受け、本名を名乗り始めた。
87年に退職すると「民族教育に対する使命感」から民団大阪府本部文教部に勤務し、教育委員会との行政交渉に道を開いた。民団大阪が日本の学校に通う子どもたちの民族教育に腰を据えて取り組むようになったのはこれが初めてとされる。
民団大阪府本部の現文教部長、鄭炳采さんはこれこそ「ソンセンニムの一番の功績」と称える。というのも、教育委員会側も民団との行政交渉を通じ日本の学校に通う子どもたちの民族教育の必要性を認識するようになったからだ。
大阪市は93年、民族講師招聘事業を制度化し、ボランティア民族講師に一定の報酬を支払うようになった。大阪府も94年から府費民族講師をそれまでの非常勤講師から常勤講師に格上げした。98年には大阪府教委が「指導指針」を改訂して「本名原則」を明記したことも大きな成果だった。金さんは「これは民団という組織があったからこそ実現したもの。お互いに信頼関係があったから一つ一つ前進してきた」と振り返っている。
大阪市外教のある関係者は「いまなお日本社会では本名があたりまえに呼び名のれる状況になっているとは言いがたい。私たちは金容海先生の民族教育の熱い思いを受け止め、先生の好きなタンポポの花が各地に根を張り花を咲かせるように『本名を呼び名のる』教育を一層進めていく」と誓っていた。
(2006.6.21 民団新聞)