掲載日 : [2006-12-20] 照会数 : 8443
親子2代「耳塚」守る 92歳の清水さん
[ 東山にある「耳塚」 ]
[ 芳名録を手に清水四郎さん
]
環境整備、管理・案内も
【京都】豊臣秀吉による韓半島侵略をいまにとどめる耳塚(鼻塚)=京都市東山区茶屋町=を訪れると、塚を覆う草が刈り取られ、周囲がきれいに掃き清められていることに気づく。これは塚のすぐ東側に住む清水四郎さん(92)が常ひごろから人知れず環境保全に務めているたまものだ。善意の奉仕活動は親子2代にまたがる。
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「当然の償い」 近隣住民らと
清水さんは父親が黙々と耳塚の草を刈り、周囲の清掃をするのを幼少時から見て育った。日本の敗戦後、外地から復員すると、清水さんも自然とそんな父親を手伝うようになった。父親が亡くなってもこの習慣は変わることなく続いた。
草刈り作業は2、3日がかり。大変な作業だった。清水さんが作業を始めると、見かねて町内の住民20人ほどが応援に駆けつけてきたという。
住民挙げての草刈りは、市から派遣された職員が担うようになる10数年前まで続いた。
80年代に入って韓国の学者により、耳塚の存在が韓国国内はもとより日本でも広く知られるようになって、人権学習や平和学習を兼ねて多くの見学者が耳塚に訪れるようになった。いまや修学旅行で京都を訪れる生徒たちの見学コースとして定着した。
そうすると清水さんは市職員に替わって周囲を囲む石柵の鍵を預かり、耳塚への出入りの管理まで引き受けることになった。
韓国からの見学者のなかには忘れられない人もいるという。金泳三元大統領もその一人だ。「大統領は私の家にも寄ってくださった。両手で包み込むように私と握手してくださったことは、いまも忘れることができません。日本が朝鮮半島にしたことを思えば、私はあたりまえのことをしているだけなのですが」と今も恐縮する。
清水さんは来訪者のための芳名録を用意している。気がついたら70冊ほどになっていた。このうちの30数冊は韓国の資料館に寄贈した。残りの30数冊は清水さんがいまも大切に保存している。
(2006.12.20 民団新聞)