掲載日 : [2008-10-08] 照会数 : 5465
<布帳馬車>蔡七峰さんを知りませんか
本紙にはときたま「尋ね人」の掲載依頼が届く。内容によっては、なんとか探し出してあげたいと、かなわぬ思いを抱くときもある。出会いから80年近く経つにもかかわらず、いまも韓国人の消息を追い求めているという池田武邦さんからの手紙もその一つだ。
池田さんと故蔡七峰さんとの運命的な出会いは戦時下の1930年の4月。神奈川県の藤沢尋常高等小学校の「入校式」のときだった。蔡さんはクラスメイトから「朝鮮人!朝鮮人!」とはやし立てられていた。たまたまそばで目撃した池田さんは、止めなければと思いながらも傍観した。そんな自分を、いまでもふがいなくてならないと責めている。
池田さんの思いが通じたのか、その後、二人は心を通わせるようになる。1935年、蔡さんは在日韓国人の女性と結婚した。夫妻は新家庭に池田さんを真っ先に招待した。質素なちゃぶ台に並んだ心づくしの手料理が池田さんを感激させた。
第2次大戦後、小学校のクラスメイトと再会した池田さんは、真っ先に蔡さんの消息を尋ねた。蔡さんは心ならずも日本軍軍属に志願し、硫黄島で戦死していた。蔡さんはきまじめで優しい性格だったという。懸命に日本人になりきろうとしてもがきぬいた末にたどり着いたのが戦死だった。
池田さんは「ご遺族の消息を知りたい、ご本人の生涯を知りたい、できればご位牌に手を合わせたい」という。(K)
(2008.10.8 民団新聞)