掲載日 : [2008-11-06] 照会数 : 5636
イルボンで出会いのエッセイ<17> 金益見
お墓参りっていいもんだなぁ
突然ですが、皆さんはお墓参りで手を合わせる時何を考えていますか? 今、はじめて明かすと、私は一通りのあいさつ(こんにちは、いつも見守っていただいてありがとうございますなど…)が終わった後、いつもなぜかスネ夫のことを考えてしまう。
スネ夫というのは、ドラえもんに出てくる骨川スネ夫だ。
小さいころ、お参りに集中しなくては! と思うほど、別のことやどうでもいいことを考えてしまい、何度かスネ夫のことを考えているうちに、癖になってしまった。スネ夫は、当時の私にとってどうでもいいことナンバー1だったのだろう。 私はこの癖をどうにかしたかった。子どものころは大人になったら直ると思っていたが、そんなに甘くはなかった。お墓参りなのに、スネ夫で頭がいっぱいな大人、それが私である。
しかし! つい先日やっとその癖を克服することができた。お墓参りに行った時に出会ったある言葉がきっかけで、余計なことを考えなくなったのだ。形式ではなく意味を知ることで、私の中で何かが変わった。
【ある言葉↓】
「人間がひとり生まれてくるためには、必ず父と母が必要です。そして、その父と母にも両親がいます。ひとりの人間の誕生に、最低でも6人の人間が関わっているのです。(父、母、父と母の両親)お墓参りするのは、亡くなった人々を思い出し、感謝するためなんですよ。お墓の前で、命の歴史が積み重なって自分がいるのだということを感じてください」
それを聞いて私は、お墓というのは〞自分が命のつながりの中で生まれてきたんだということを何度でも確認できる場所〟なんだと思った。
お墓の前で目を閉じる。
心と耳を澄ませる。
自分の鼓動が聞こえる。
私は今ここにいる。
私は今生きている。
石の中で眠る父。
隣にいる母。
私は父と母から生まれた。
心が開く。
奥から感情が出てくる。この感情を言葉にすると…あっ「ありがとう」だ!
お参りが終わった後、スネ夫のことを一秒も考えなかった自分がいた。心の中はありがとうでいっぱいだった。お墓参りっていいなあ。
(2008.11.5 民団新聞)