掲載日 : [2008-11-13] 照会数 : 9915
<民論団論>李恢成著『地上生活者』を読んで
<民論団論>李恢成著『地上生活者』を読んで
望郷と統一幻想と「在日」の悲劇に迫る
帰国船で北朝鮮に渡った朱文聲から趙愚哲のもとに手紙が届く。恋人の順伊と再会したこと、平壤市の建設工事に昼夜3交代で従事しながら大学で学んでいること、そして南朝鮮で虐殺された父を思い、必ず祖国の平和統一を実現しようと夫婦で誓っている、と書かれている。手紙は、「夜は床の間についたら最後、死んだように深い眠りに落ちるのです」と結ばれていた。第3部の終章である。
◆「語り部」に淡々と徹して
第2次大戦が終わり、少年愚哲が樺太から日本に渡るところから大河小説「地上生活者」は始まる。第3部では、大学に入学した愚哲が、「祖国帰還運動」たけなわの在日本朝鮮人留学生同盟に入り、さまざまな人物や出来事に出会う。「群像」に長期連載中で、すでに単行本となった第1部から第3部まで、それぞれ700ページ におよぶ大作である。
芥川賞受賞作「砧を打つ女」で気鋭の叙情的小説家として登壇し、曲折を経た老作家は、この物語では淡々と「語り部」に徹しようとしている。「ぼく愚哲は」という書き出しからして自伝的作品には違いないが、徹底した叙事的筆法で私小説の枠を超えた。
ところで、冒頭の朱文聲は韓国出身であり、クリスチャンである。しかも「朝鮮戦争」を「北からの侵略だ」と喝破しつつ、さらには「金日成崇拝」を一種の「宗教」ではないのかとする愚哲の疑念に同意しつつ、「南のためだ」として北へと渡る。
朱文聲の形象は歴史的にはむしろありふれた人物像だ。朱文聲が「南のためだ」としたことには、あくまで「祖国統一」という大義のために行動するのであって、朝鮮労働党とその指導者のイデオロギーに従うためではないのだ、という意味がこめられている。しかし、同じようにして北に渡った多くの韓国知識人は、金日成崇拝の詩を書いて生き残った朴八陽を除いて、ほぼ全員が、最終的には粛清されるか、または去勢された。現実はあまりに無残だった。
◆貧困と差別が生む帰還運動
「帰還運動」の動力となったものは在日朝鮮人社会の貧困であり、苛烈な差別だった。在日に多かった日雇い労働者たちはささやかな定職を求めてやまなかったし、親たちの苦労と期待を一身に背負った学生たちは、自分の学問を生かせる場を渇望した。けれども、彼らが自分を生かせる場所は、当時の日本社会にはどこにもなかった。
まして韓国から渡ってきた朱文聲の場合、日本に残っても自分を生かす道はない。韓国での政治事件の連累者である以上、南への帰国も考えられない。青年らしい希望とは別に、卒業を控えて進退は窮していたのだ。現実の圧迫と「地上の楽園」のプロパガンダを前にして、ほかの選択肢は皆無に等しかったであろう。
生きる道を閉ざされた在日の貧困と差別は、熱い「望郷幻想」を生んだ。最も貧しい者たちには最も豊かな「祖国」があるべきだったし、最も差別された者たちには最も「偉大な指導者」が降臨すべきだった。
◆朝総連幹部の罪過は歴史に
この状況を決定づけたのは、1952年4月に出された、在日朝鮮人を日本国籍から無条件に排除する内容の日本法務府民事局長の「通達」だった。かつて「皇国臣民」たることを強要された在日朝鮮人は、この日をもって「日本国民」としての法的保障を失い、強制送還の悪夢にさいなまれる不安な第3国人の身分へと放逐される。そして、あらたな偏見と差別のルツボの中へと投げ込まれる。
「日本には住めなくなるかもしれない」という漠然とした危機感が、在日朝鮮人運動の再びの過激化へとつながり、被差別民族全般の社会主義へのシンパシーを背景として、朝鮮総連への圧倒的な結集を生んだのだ。そこでは、「社会主義とは何か」を問うことなど許されなかった。「偉大なる指導者」の指図のままに、与えられた現実を黙って受け入れるほかなかった。
当時の在日朝鮮人知識人一般の思想的怠惰や迎合性を、必ずしも非難できない状況があったというべきであろう。しかしながら、功名心や利得のために不幸な在日同胞を不毛な個人崇拝の先鋒隊へと洗脳していった朝鮮総連幹部たちの罪は、歴史に長く記憶されるであろう。
朱文聲の選択については、いまひとつ触れておくべき近代史の悲劇性がある。世襲の身分的権威によって統合されていた封建社会が市場経済によって突きくずされ、資本の根源的な蓄積が果たされていく過程で、体制転換の副産物として拝金主義をシンボルとする近代社会の未熟児が生まれる。いわゆる賤民資本主義である。
◆賤民資本主義の悪徳の中で
偽善的な封建道徳が崩壊し、ありとあらゆる人間の本能がいっせいに芽をふく。その混沌の中から、合意による民主的な統合のルールが形成され、社会が透明度を増していくまでの間、すべての近代諸国民がこの賤民資本主義の生む数々の悪徳とのおぞましい戦いを余儀なくされる。「近代化」とは、一見無秩序な混乱をともなう巨大な革命の過程なのだ。
朱文聲が弱肉強食の南の社会で見たものは、まさにそれだった。一方、計画経済という中央指令型の経済システムと、党と指導者による社会の一元的で全体主義的な統合は、政治的効率と生産力集中の面で、ごく一時的にだが、封建制度に対する優越性をきわ立たせた。朱文聲が「千里馬の国」に見たものがそれだった。
しかし、現実社会主義の初期的効率性は、やがて政治と経済の足かせとなり、巨大な抑圧となって社会と人民の上にのししかかっていくことになる。朱文聲の誠実は、みずからを捨てることなくして果たしてそれに耐えられるであろうか。われわれは、「地上生活者」第4部においてその一端に触れるに違いない。
金一男(神奈川県)韓国現代史研究者