掲載日 : [2008-11-13] 照会数 : 6204
フラッシュ同胞企業人<29>伝統組紐製作
[ 1938年京都生まれ。立命館大理工学部卒。組ひも屋で修業し、独立。民団京都上京支部の支団長。2男2女、孫4人。 ]
フラッシュ同胞企業人<29>伝統組紐製作
金谷製紐の金勝利代表
◆50年の経験…微妙さ知る
日本の伝統工芸のひとつである絹糸を材料にした「組ひも」。きものの帯を締める時に使う帯締めをはじめ、最近では携帯ストラップやキーホルダーなどにも使われる。優雅で華麗な工芸組ひもの技は、京都文化の中で伝承されてきた。
◆西陣織の本場で
「組ひもの魅力はなんといっても、自分でつくりあげたものが、『美しい』と相手に喜ばれること。たとえようのない気品は、伝統の技から生み出される」。組ひもとのつき合いは50年に及ぶ。
「組ひもはつくるたびに微妙に変わる。素人には見分けにくいが、帯締めの味、手触り、感触、やわらかさなどは経験を重ねることでわかるようになった」。相手の要望するひもをつくるのに、少なくとも20年はかかったという。
西陣織の本場で育った。「昔は路地を歩けば、機織りの音があちこちから聞こえたものだ」。高校生の夏休みにたまたま、近所の組ひも屋でアルバイトをした。「もともとモノづくりが好きだったので、興味をそそられた」
卒業後、大阪に出て会社勤めをしたが、すぐに退職。組ひも屋で半年ほど見習いをしてから、自分で始めた。「最初は仕事を回してもらったが、今考えると、冷や汗ものの商品を納めていた。よく売れた時代だから許された」。材料は、始めたころは人絹が主で、20年前までは化繊を使ったが、日本社会が豊かになるにつれ、絹だけになった。
◆全盛期は100台も
全盛期、3人兄弟(弟2人)で年商1億円ほどの売上額があったが、今では半分ほどに。後継者として次男の幸広さん(38)さんが加わった。
糸繰りや合糸、撚(よ)りの工程を経て機械にかける。糸の太さによって合わせる糸の数が違ってくる。10本、20本と、何本の糸を合わせるかという判断が難しく、経験がものをいう。
1台の機械で1種類の組ひもしかつくれないので、機械は増えていくばかりだ。「一番多い時で100台はあった。今でも50〜60台になる。顧客の要望に応じた機械がなければ、注文には応じられない。いきおい機械を購入する時の選別が大事になる。将来を見通す目が必要だからだ。創業当初に購入したものを今も使っている一方で、一度も使っていない機械もある」
かつて、業界で最高級の組ひもと言われたのが、「高麗ぐみ」だった。「雲の上の商品だったのに、西陣織の生産拠点をどんどん中国に移転したため、高麗ぐみまで大量生産された」。安価な中国産西陣織にかなうはずもなく、「みずから伝統産業を廃れさせた。組ひもをつくる人は、今ではわずか」と嘆く。
最近は着物を着る人がめっきり少なくなった。「着るのは、成人式や結婚式、パーティーぐらい。これでは、着付けのわからない人が多いのもやむを得ない。すばらしい日本の伝統文化が失われていくのを、なぜ指をくわえたまま眺めるだけなのか。着物を着る日を法律で設けるなり、なんらかの対処が必要だ」と警鐘を鳴らす。
◆金谷製紐:京都市上京区智恵光院椹木町上ル(℡075・811・5751)
(2008.11.12 民団新聞)