掲載日 : [2008-11-27] 照会数 : 7616
忘れぬ虐殺の歴史…関東大震災追悼碑建立へ
[ 手前の建立予定地は虐殺現場にほど近い旧四ツ木橋のたもと。夏には鳳仙花の花が咲きほこる ]
篤志家が私有地提供
関東大震災発生時に多数の同胞が虐殺された東京・墨田区の荒川放水路堤下。その現場にほど近い旧四ツ木橋のたもとに追悼碑を建てようと、市民団体が今秋から具体的な準備を始めた。建設予定地となる私有地はすでに確保、追悼碑基金も400万円近く集まっている。不足資金の600万円は、来年の夏の建立を目標に広く草の根募金を呼びかけていく。
旧四ツ木橋たもと
追悼碑建立を呼びかけているのは、82年から荒川河川敷で毎年欠かさず犠牲者を弔ってきた「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」と、「グループ ほうせんか」の2団体。
メンバーは83年ごろから3年かけて地元住民、延べ150人から証言を集め、並行して裏付け資料の掘り起こしも進めてきた。証言に基づき、現場で遺骨の発掘も試みたが、物理的に難しいと分かると、88年から河川敷に追悼碑を建立する方向に転換した。
追悼碑建立をめぐる国や墨田区との交渉は昨年まで足かけ10数年に及んだ。2000年には墨田区議会にも陳情したが、「旧四ツ木橋付近で虐殺があったことは、公的文書では確認できない」と協力を得られなかった経緯がある。
「グループ ほうせんか」代表で元教員の西崎雅夫さん(49)=墨田区在住=は当時を振り返りながら、「唖然とした。加害の歴史はその風化を加速させる力が強く働く。でも、被害者の側の心の痛みは決して風化しない。いま必要なのは真実と向き合う力だ」と、あらためて追悼碑建立を心に誓ったという。
この間、区内の日本人篤志家が、追悼碑を建てるならばと、約12坪ほどの私有地を提供してくれた。また、ある同胞遺族は、「追悼碑を父のお墓がわりにしたい」と、100万円を差し出し、メンバーを感激させた。
草の根の呼びかけで集まった基金はこの間、400万円近くに達したが、建立地の整備・固定資産税を含む維持費も合わせた総予算は1000万円を見込む。「追悼する会」メンバーの一人、在日同胞の慎民子さん(58)=墨田区在住、介助員=は「共に生きる明日のため、子どもたちにありのままの歴史を伝えていくことが私たちの務め」と募金に意欲を燃やしている。
建立賛同基金の郵便振替先は口座名「韓国・朝鮮人追悼碑基金」、口座記号番号は00160‐8‐0603476。追悼CD、パンフレットなども販売している。
問い合わせは℡03・3614・8372(西崎雅夫方)。
朝鮮人虐殺の現場 旧四ツ木橋の付近
関東大震災で当時の堀切橋は破壊されたが、木造の四ツ木橋だけは無事だった。約15万人ともいわれる住民は都内最大の被災地だった墨田区から葛飾区方面に逃れようと、荒川にかかるこの橋をめざした。軍と自警団による朝鮮人虐殺の模様は、すでに多くの聞き取り証言で明らかになっている。当時の新聞報道によれば、堤防下に投棄された死体は、震災の年の11月、騎馬憲兵の警戒するなか、2度にわたって掘り返され運び出されたという。
(2008.11.26 民団新聞)