掲載日 : [2009-02-04] 照会数 : 6028
イルボンで出会いのエッセイ<20> 金益見
イルボンで出会いのエッセイ<20>
金益見 つながりつくり広がり生む 民団新聞の連載も、今回で最終回だ。最初、全5回の予定だった「出会いのエッセイ」は、ありがたいことに20回も続けさせていただいた。
定期的に出会いに関するエッセイを書くようになって、どこへ行っても誰かや何かと出会うことを意識するようになった。それは私にとって、出会いについて考え直すいい機会になったと思う。
大きく変わったのは、出会いに対する価値観だ。以前の私は、新しい人とじゃないと出会ったことにならないと思っていた。連載開始時は、とにかく新しい人に出会うために、行ったことがない場所に出かけては、出会いを探していた。
しかし、そこで必ずと言っていいほど出会うのは、ほかの誰かではなく自分自身なのだ。新しい場所で〞はじめて〟に緊張したり驚いたりする自分に出会う。刺激を受けて知らなかった自分が生まれ、そんな自分と出会う。
それは何も新しい刺激からだけではない。
例えば海外に行って、持ってきた荷物を開けた時に突然出会うこともある。お腹をこわした時のために母が入れてくれたレトルトのおかゆを発見して、「まだまだ子どもなんだなあ」「愛されてるなあ」と、母から見た子どもの自分に出会う。これもまた、出会いである。
人との出会いに関しても考えが広がった。出会いは「はじめて」や「新しい」ととても相性がいいが、実は今すでに出会っている人とでも何度でも出会えるということを知った。
人は、他者も物事も自分の価値観で切り取り続けて生きている。その自分自身の編集機能をいったん止めて、カットしていない相手を見つめてみると、知らなかったその人に出会う。そんな時、私は「人間は広いな、世界みたいだ」と思う。
逆に、自分の中しか見ていなければ誰かと出会っても、ちゃんと出会ったことになっていないという時もある。
Buy dumps 出会いは〞つながり〟をつくり〞広がり〟を生む。それは、人間だけに限らない。言葉との出会い、季節との出会い、夢との出会い。出会おうと思えば毎日は出会いで溢れている。大切なのは、ひとつひとつの出会いに気付くこと! それに気付かせてくれたこのエッセイに感謝である。
(神戸学院大大学院在学)
<終わり>(2009.2.4 民団新聞)