掲載日 : [2009-02-18] 照会数 : 5697
サラムサラン<1> 空と風と星と詩
私にとって、2月は特別な月である。その思いは、この月の16日に集約する。韓国の詩人、ユン・ドンジュ(尹東柱1917〜1945)の命日なのである。
「死ぬ日まで空を仰ぎ、一点の恥なきことを」。
詩集「空と風と星と詩」の冒頭を飾る「序詩」の書き出しだが、若者だけにしかあり得ない凛然とした意志が、クリスタルな輝きを放っている。
その詩のように、いっさいの恥とは無縁に、詩人は27歳の若さで命を散らしてしまう。
単純な夭折ではない。当時、同志社大学の選科生として学んでいたユンは、ハングルで詩を綴ること自体が罪とされたような狂気と暗黒の時代に、独立運動の嫌疑で逮捕され、福岡刑務所で服役中に獄死したのである。軍国主義に固まった日本の犠牲になった、数限りない韓国人のひとりだった。
もっとも、私が彼に惹かれるのは、犠牲者としての悲劇性よりも、その詩が湛える透徹した清冽な光のゆえである。20代半ばにハングルの学習を始めたが、ユン・ドンジュは、その過程で出会い、心の糧となった宝のような存在なのである。青春時代はもとより、今に至るまで、生きる指標を与えてくれている。命日の2月16日、母校であったソウルの延世大学だけでなく、京都の同志社大学でも、追悼式が行われた。単に詩人が日本に学び、この地で死んだというだけではあるまい。ユンの詩のなかに、狭義の国や民族を超える人間としての真実が満ちているからだろう。
ユンを思う時、私のなかにひとつのイメージがある。
ひと筋に伸びた土の道を、真っ直ぐに前を向いて、青年が歩いて来る。眉をきりりと引き締め、静かな、しかし意志を固めた静かな微笑を浮かべている。
風に乗って、バッハのコラール、「主よ、人の望みよ喜びよ」が流れてくる。青年が近づくにつれ、澄明な長調の音楽は大きくなり、聖なる宇宙を響かせる……。
ユン・ドンジュを知って、4半世紀が過ぎた。年を重ね、恥を重ねて、とても「一点の恥なきことを」とは言えなくなった。だが、なおもその詩は、私に光を与えてやまない。「序詩」の後半、「そして、私に与えられた道を歩み行かねば」の詩句は、今も自分自身の生き方を貫く屋台骨として、胸中にエコーする。
今年も、その特別な月がやってきた。ユンを思うことは、人としての初志に触れ、生きる根本に立ち返ることにほかならない。2月は、私にとって魂の禊(みそぎ)となる月である。
多胡 吉郎(作家)
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プロフィール
多胡 吉郎(たご きちろう)
1956年東京生まれ。東京大学国文学科卒業。日本放送協会(NHK)入局。以後ディレクター、プロデューサーとして活躍、95年KBSとの共同制作で、NHKスペシャル「空と風と星と詩〜ユンドンジュ・日本統治下の青春と死〜」を演出。99年ロンドン勤務となり、欧州各地で番組制作に従事。02年退職。英国に留まり、文筆への道に進む。「吾輩はロンドンである」(文藝春秋)「韓(から)の国の家族」(淡交社)、「わたしの歌を、あなたに〜柳兼子・絶唱の朝鮮」(河出書房新社)など著書多数。
(2009.2.18 民団新聞)