掲載日 : [2009-05-13] 照会数 : 14170
<民論団論>日本の恥部「マンガ嫌韓流」
匿名で憎悪する卑劣
劣等感の裏返し まざまざ
「韓」を忌み嫌い中傷する『マンガ嫌韓流』の第4巻が発売された。帯によれば、シリーズ累計で90万部を突破したという。出版不況の中、書店にとってはありがたい数字であり、例の田母神もの(元航空自衛隊幕僚長の歴史認識発言)と並んで、多くの書店で目を引く場に陳列されている。
シリーズ第1巻の後書きによれば、もともとインターネット上の匿名サイトの連載を単行本化したものだ。当初、数人の原作者と若手漫画家との共同執筆であろうとの指摘もあったが、最新巻には作者(?)の写真が掲載されている。それでも、インターネット匿名サイトの連載という性格はほとんど変わっていない。
インターネットの登場以前、匿名の無責任な「殴り書き」と言えば、「便所の落書き」がその代表だった。社会的な差別や偏見を煽る過激な落書きは減っていた。数年前に某有名私大のトイレに部落差別の落書きをした者が特定され、退学になったニュースが目立つほどだった。何も便所使用のマナーが向上したわけではない。
落書きによるカタルシス(日常生活のなかで抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされること)の居場所が、便所からインターネットの匿名サイトに移動したということだ。
『マンガ嫌韓流』シリーズの内容も、インターネットの匿名サイトに移った「殴り書き=落書き」以上の代物ではない。どのような意匠をほどこそうと、‐例えば、あとがきには「日韓友好」「差別反対」などの美辞も記されているが‐全編を通してそれに相応する箇所は一つもない。
そもそも落書きなのだから、まともな反論の対象にもなり得ない。敢えて反論した書‐例えば「『マンガ嫌韓流』のここがデタラメ」(朴一、姜誠他著/コモンズ社刊)‐などもあるが、反論が論理的かつ高尚すぎて噛み合わないほどだ。
落書きなのに売れ筋本とは
不衛生な便所の落書きのようなものが、サラリーマンや学生で賑わう駅頭の書店で、売れ筋本として推奨され、堂々と置かれている。日本の恥部そのものと思えてならない。
−−あと数年以内に在日韓国・朝鮮人は内政干渉を可能にする「外国人参政権」と言論弾圧を合法化する「人権擁護法」を手に入れていよいよ「日本乗っ取り」の最終段階に突入する!
これは最新巻の帯にある文句だ。作品で言いたいことは帯に集約される。特定の層の気を引こうとする惹句としても、限度を超えている。この種のものは順次過激化していくものだ。だが、ここでは内容ではなく、マンガ表現の問題だけを指摘する。
第4巻の最終ページに「人々の描き方には特徴を誇張した表現が一部分含まれ、……(これは)漫画の重要な表現手段の一つ」とある。だが、日本の大手出版社で発行されている主要な作品では、このようなキャラクター設定はなされない。
善人は善人らしく、悪人は悪人らしくという条件は前提だが、善悪の基準は大多数読者の共感を生むように、作者と編集者で検討し、決定する。著者の一方的で主観的な、特に悪意がこもった設定は絶対に避ける。だが、『嫌韓流』のキャラクターは、北朝鮮のプロパガンダ看板の描写に酷似している。自分たちは逞しい美男美女であり、米帝国主義者は貧相な鬼のように描くそれだ。
シリーズで一貫しているのは、「日本を批判し続ける隣国が目障りだ。半島出身者が日本国内を日本人と同様に闊歩するのは胸クソ悪い」という一点である。いわば、原初的な排外意識だ。
波止場の哲学者と言われたエリック・ホッファーは自著『大衆運動』で、「自分が優秀であると主張する理由が薄弱になればなるほど、人はますます彼の属する国家、宗教、人種、あるいは真正な大義が、優秀きわまりないと主張する傾向がある」と述べ、「同じ憎しみをもつ人々と一体になるように、われわれを駆り立てるのは、主として非理性的な憎悪」だと指摘する。
負の連鎖切断加害者側から
権力者が狭隘な「愛国主義」「民族主義」を鼓舞しようとするとき、原初的な排外主義が動員されやすい。この意識は世界のどの国、どの民族にも伏在している。しかし、植民地支配や侵略の歴史における加害側と被害側のそれは峻別される。なぜならば、加害者側のその意識が侵略の歴史を作り、被害者側のその意識を対抗軸として作らせたからだ。負の相互作用は加害者側から断ち切るべきである。
「非理性的な憎悪」は御し難いが、問題は「90万部」、1巻につき30万部という数字にある。その種の「支持者」はこの間ほぼ、30万で推移していると見ていい。これが多いのか少ないのか。日本社会がまだまだ健全性を保っている証と考えたい。
学習塾講師(東京)
結城 重之
(2009.5.13 民団新聞)