掲載日 : [2009-05-13] 照会数 : 7289
<民論団論>石原知事の言動と五輪招致
[ 「オリンピックを東京に」とPRする石原東京都知事(中央)ら ]
謳い文句と矛盾明白
「三国人」・「騒擾」どう総括!?
東京都が2016年夏季五輪の開催地に名乗りを上げている。4月中旬には国際オリンピック委員会(IOC)評価委員会の現地調査が行われ、石原都知事らは好感触を得たという。五輪招致に対して、都民や日本国民の世論は歓迎が大勢だ。在日同胞の気持ちも、日本の世論と大差はなかろう。そう断ったうえで、知事や都の関係者に若干の物言いをつけない訳にはいかない。
歴史認識には自分の言葉で
理由は大きく二つ。一つは、国際的な視野や感覚が問われる歴史認識において、都知事のそれは利己主義の腐臭に汚染されたままであることだ。評価委員会の視察を受けた後の記者会見で、英国人記者が「知事が朝鮮半島への日本の行為を矮小化しているため開催地に選ばれるべきではないという韓国での報道を知っているか」と問われ、こう答えている。
「私は日本の韓国の統治がですね、すべて正しかったと言った覚えは全くありません。ただ比較の問題ですけどね、やっぱりほかのヨーロッパの先進国はアジアでいくつかの植民地を持ちましたね。その植民統治に比べてですね、日本のやったことはむしろですね、非常に優しくて公平なものだったということを朴大統領からじかに私は聞きました」(質問とも朝日新聞4月21日付)
日本の朝鮮統治は抑圧者と被抑圧者、収奪者と被収奪者という、どこの植民地でも見られた関係以外に、歴史の改ざん歪曲や言語使用の抑圧、天皇崇拝や神社礼拝、創氏改名の強要など、どこにも見られなかった民族性抹殺、二級国民への改造政策があった。最も苛烈かつ卑劣とは言えても「優しくて公平」だったと言える代物ではない。
石原氏がかつて朴正煕大統領と会ったことは知っている。国際的な左右激突の当時にあって、ある種、気心を通じあったであろうことも想像がつく。しかし、朴大統領が本当にそう言ったのかどうか、石原氏は客観的な資料をもって証明する責任がある。
そもそも、歴史認識について石原氏は、自分の言葉で語るべきだった。自分の考えを故人となった朴大統領の、すでに真偽を確認するすべのない「発言」に置き換えるべきではなかった。逃げの姿勢があからさまであるだけでなく、故人をも貶めずにはおかないからだ。この発言を撤回し、改めて自分の言葉で語り直すよう石原氏に求めたい。
特定の外国人へ常に色眼鏡
もう一つは、石原氏の「在日外国人」への視線が歪んでいることだ。知事は2000年の4月、東京・練馬の陸上自衛隊第1師団の式典でこう語った。「今日の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。こういう状況を見ましても、もし大きな災害が起こった時には大きな騒擾(そうじょう)事件すら想定される。こういうものに対処するためには、皆さんに出動願って、災害の救助だけでなしに、治安の維持も大きな目標として遂行していただきたい」
そして9月の総合防災訓練の当日、銀座通りを装甲車が走り、上空には軍用ヘリが旋回、東京湾には艦艇が浮かんだ。動員された陸・海・空の自衛官は約7100人。主役となったのは幕僚会議の指揮する自衛隊であり、肝心な自治体や防災組織との連携を欠いたと指摘されている。これはまさに「治安出動」であり、練馬駐屯地での発言が伏線になっていたことは言うまでもない。
駐屯地発言にも実は伏線があった。石原氏が参議院から衆議院にくら替えした1972年に発表した小説『機密報告』は、在日韓国・朝鮮人を「三国人」と呼び、この者たちが「騒擾」を起こし、その混乱のなかで日本政府を転覆するという筋を立てた。30年の時間を経て一直線につながるこの発想は、石原氏が一貫して在日韓国・朝鮮人を含む特定の外国人を、いざとなれば「騒擾」を起こす「三国人」と見なす、傲慢な確信犯であることを意味する。
大震災を含む過去の大災害で、外国人による騒擾が発生した事実はない。関東大震災時に騒擾を引き起こしたのは、流言飛語に脅えて朝鮮人虐殺に走った日本人であった。その記憶からすれば、「防災訓練」はむしろ、すべての外国人を虐殺・迫害から守り、被災者はお互いを区別・差別することなく助け合うよう導くものでなければならなかった。
招致成功へのふさわしい姿
大震災など大規模災害は民族も国籍も選ばずに襲う。それを事実で示した阪神淡路大震災は、「三国人」の騒擾が起きるどころか日本人と外国人が協力して被災者の救助に当たり、同胞が多く住む長田区などでは他の外国人もともに日本人と手を携えて復興に力を尽くす姿を浮き彫りにした。石原知事が関東大震災時の虐殺と、対極にある阪神淡路の助け合いを知らなかったはずはあるまい。
東京五輪招致委員会のホームページにはこう書かれている。「世界がますますテロや災害などのストレスにさらされるなか、世界一安全な都市で、人間的なふれあいに満ちたオリンピックを開催できるということ自体、地球への大きなプレゼントとなるはずです」
00年の駐屯地発言や外国人騒擾を想定した治安出動訓練と、「世界一安全な都市」という謳い文句の落差をどう説明するのか。9年間で何が劇的に変わったのか。いや、東京はもともと外国人の騒擾などあり得ない「世界一安全な都市」なのだ。
00年の二つの言動は、石原氏の個人的な観念に基づくパフォーマンスに過ぎなかったことを自ら証明したことになる。
石原氏にはゼノフォビア(外国人嫌悪、排外意識)と呼ばれる心根があるように見える。二つの意味からこれを早急に取り除くべきだろう。それは期待できないとして、少なくとも完全に封印すべきである。本人は「誤解だ」と言うかも知れないが、たとえ誤解だとしてもそれを払拭する努力を惜しむべきではない。
一つは、オリンピック招致を成功させるためだ。夏季五輪大会には、大規模な選手団・応援団のほか不法滞在予備軍を含む大量の外国人が来日する。不良外国人や不法滞在者を一掃しようとする都知事の方針と本来ならば相容れない。これにどう落とし前をつけるのか。都知事は今後心して、世界人類の平和祭典の最高峰に位置する夏季五輪を招致するにふさわしい言動に徹すべきだろう。
もう一つは、日本が危険な方向に引きずられるのを防ぐためだ。日本社会は現在、先の見えない年金や介護問題、学校・家庭の崩壊、長引く不況と企業経営の過度な合理化によるリストラなど、生活格差の拡大と将来への不安が深刻化している。そうした閉塞感から鬱積したストレスが、何かをきっかけに社会的な弱者にそのはけ口を求める可能性は常にある。
信頼深める場願うからこそ
「オリンピックを通じて世界につながり、人間同士の信頼が深められるような場をつくる」(招致委H・Pから)。石原知事は今すぐに、その趣旨を身をもって実践し、自分の意識は00年当時と大きく変わったことを証明すべきだ。開催地を決定する10月のIOC総会を前にした今年の「防災の日」から、災害時こそ日本人と外国人がともに助け合うことをコンセプトにした訓練の日とすべきだろう。あの「治安出動」のイメージを覆して余りあるものにするよう勧めたい。
フリーライター
朴景久
(2009.5.13 民団新聞)