掲載日 : [2009-06-03] 照会数 : 5708
サラムサラン<6> 2等辺3角形
この10年、私は英国に暮らしてきた。周囲も寝静まった夜更けに、よく世界地図を眺める。ロンドンから横にゆっくりと視線を移すと、ユーラシアの長々と続く陸地の果てに韓国が、わずかな海を超えた先に日本がある。なんと近い距離に2つの国はあるのかと、改めて思い知らされる。
「近くて遠い国」とは、何度となく語られた言葉だが、英国から見る時、両国はあまりにも「近くて近い国」だ。近くて遠いなどという形容が生まれるのは、韓日の関係のなかでのみものを見ているからで、英国という第3国に足をかけてみた途端に、硬直して見えた2国間の構図は、たちまち緩み始める。
私はよくロンドンを起点に、2辺の長く伸びた3角形を思い描く。1辺の向かう点はソウル。もう片方の辺の先は東京。ソウルと東京だけを見れば、2つの都市は違いばかりを言い立てる。だが、ロンドンを頂点として見れば、2辺ばかりがひたすら長く、底辺の極端に短い細長の2等辺3角形を描く。つまり、違いよりも近似性が目立つ。顔立ちから物腰、食べ物から言語体系まで、まさに似たもの同士で、いとおしく思えてならない。
別に英国でなくともよい。第3の視座を持つことが意味あることなのだ。韓国と日本だけに思考が固まってしまうと、息が詰まりもし、下手をすれば、両者の間の溝に落ち込んでしまって、這い上がることが難しくもなるだろう。
在日韓国人という立場は、両者の差に最も敏感であらざるを得ないことから、この「溝」を意識させられることも少なくないのではないだろうか。2つの国の架け橋として生きることは大事だし貴重なことだが、そればかりが唯一の道のように称揚されてしまうと、逃れがたいプレッシャーとなってストレスを生む。その時に、韓国も日本をも客観視し、俯瞰できる第3の視座を持ち得ると、窮屈さを逃れ、思考に幅ができる。気持ちにゆとりが生じる。
民族の血をたどり、「祖国」への留学も大事だろうが、米国でも英国でも中国でも、思いきって第3国に学ぶことは、決して意義なきことではない。
突き詰めていえば、これは生きるが上での心構えの問題である。実際にどこかの国に居住しなければいけない、居住すればすむというものではない。心に2等辺3角形を描くこと‐。この意識が涵養されれば、個人として生き方がひろがるだけでなく、21世紀にふさわしい新たな韓日の関係を、人のレベルから開くことが可能なように思うのだが、いかがであろう。
多胡 吉郎
(2009.6.3 民団新聞)