掲載日 : [2009-07-15] 照会数 : 5751
サラムサラン<8> バブル東京の片隅で
今から20年あまり前、新大久保にいち早く店を出した、ある韓国食堂での話である。小柄なその人は、いつ訪ねても溌剌として元気がよかった。人のよさ、心の善良さが、全身に溢れていた。20代前半だったと思うが、いつもジーパンをはき、化粧っ気はなしで、黒い髪をきりりと後ろに束ねた姿は、日本人の目からすると、ちょっと牛若丸のように見えなくもなかった。
客が日本人と見ると、日本語で明るく挨拶をした。こちらが下手な韓国語で注文すると、微笑みながら韓国語で応対してくれた。仕事のことでは活発に客に声をかけるが、私語は決して口にしなかった。いつも、ひたすら働き者だった。
世の中はバブル全盛の頃で、私はその浮華な空気に馴染むことができなかった。新大久保の店で働くその人の姿は、醜悪なバブル東京に咲いた一輪の清い花だった。店を訪ねるたびに、心が洗われる気がしたものだ。
会社の同僚を連れて行ったことがある。料理が終わる頃、先輩のひとりが、「あの娘と結婚したら」と口にし、私は慌てた。無責任な発言だと思った。が、彼女に対する私の態度に、どこか過剰な親密さが溢れ出ていたに違いなかった。
クリスマスの前に、高さ80㌢ほどの小さなツリーのセットを買って、店に贈り物をした。その場で飾りつけ、色とりどりの電球が点滅を繰り返すのを一緒に眺めた。他の客がいなかったので、普段は私語をしないその人と、しばらく話をした。私の韓国語の拙さを気遣うのか、彼女は日本語で喋った。
故郷の話になった。春川(チュンチョン)の田舎の出身だと聞いた。少女の頃、よく赤ん坊の弟を背負って、畑で子守をしたと思い出を語った。「秋になるとバッタがたくさん飛んで来るの。それを捕まえてビンに入れ、蓋をしておくのよ。ひと晩たつと、バッタがみんなウンコを出して、きれいな体になるの。それからでないと、料理できないのよ…」
リンゴのような赤い頬をいっそう赤く染めながら、彼女は一生懸命に話をした。同世代の日本の女性の口からは出ないだろうその話に、私は美しいものを聞く感動を覚えた。なんのためらいもなく口にされた「ウンコ」という言葉が、彼女の無垢をきわだたせていた。 バブル東京の片隅で、確かな人間の真実に触れたように思った。夜道を帰る道すがら、私は幸福だった。
しばらくして、彼女の姿が店に見えなくなった。故郷に帰ったと聞いた。結婚したのだろうと思った。
多胡 吉郎
(2009.7.15 民団新聞)