掲載日 : [2009-09-02] 照会数 : 5901
サラムサラン<10> 鯨とり(コレ・サニャン)
まだ「韓流」などという言葉もなく、隣国の映画に関心のある日本人など、一握りしか存在しなかった頃である。私はある韓国映画との強烈な出会いを体験した。
「鯨とり(コレ・サニャン)」‐。気弱で無力、人生の目的を見いだしえない大学生の青年が、インテリ乞食のような兄貴分の男の助力を得て、ソウルの売春窟で出会った口のきけない娼婦を足抜けさせ、女の故郷である東海(日本海)の島まで送り届けるロード・ムービー。タイトルの「コレ・サニャン」には、「大事をなす」との意味があるという。愛と勇気を知って青年は生きる意味を発見し、故郷に戻り母の胸に抱かれた女は、ショックで失われていた言葉を回復する。
最初に見たのは、韓国文化院だったか、池袋のスタジオ200か、NHKのテレビ放送だったか、今では判然としないが、特別な上映会があるたびに足しげく出かけた記憶がある。見るたびに、魂を揺さぶられる熱い感動に襲われた。
とにかく圧倒的なパワーに満ちた映画である。表現したくてたまらないという意思が、画面の隅々にまで横溢している。熱く、人間臭く、こぎれいな外装など剥ぎ取った裸の人間賛歌は、アツアツのキムチ鍋にも通じる、韓国らしい極上品だ。金秀哲、安聖基、李美淑の3人の主役たちも生き生きとして、神々しいまでに輝いていた。
この映画が製作されたのは84年だが、ある意味では、全斗煥時代を象徴する作品でもある。88オリンピックに向け社会は発展を続け、「ハミョンテンダ(なせばなる)」精神が称揚されたが、一方では貧困などの問題が残存してもいた。私が出会い、最も馴染んだ韓国がその時代だったこともあって、私にとって「鯨とり」は、全斗煥時代の聖典のような存在だ。
この映画をきっかけに、私は韓国映画にのめり込み、翌年に続編の「鯨とり2」が封切られた際には、ソウルまで飛び、ロードショー館で鑑賞した。だが、これには失望した。おそらく、韓国社会の急速な変化が、前編の輝きをそのままに生かせなくなっていたのだろう。時代に火花するきらめきは、潮と潮がぶつかるようにスパークして生まれる。わずか1年の差ながら、韓国社会の時代潮流は、既に異なる次元に移行してしまっていた。
社会も人間模様も、もはや映画の頃とは同一でないことを承知した上で、私はなおも「鯨とり」を不朽の名作と信じてやまない。私の愛する韓国のエートスを体現した世界でもある。しばらく見ていないが、どこかで上映会はないものだろうか。
多胡 吉郎
(2009.9.2 民団新聞)