掲載日 : [2009-09-16] 照会数 : 6713
<布帳馬車>43年目のトンベクアガシ
「トンベクアガシ(椿娘)」「ファンポドッテ(黄色い帆掛け舟)」で始まったのだからたまらない。長年の愛唱歌をオリジナル歌手から、生で初めて聞いた喜び、19歳でデビューした歌手の、50周年とはとても思えない、声の質と量に対する畏敬の思いがずんときた。
日本の懐メロ番組ではよく、名声を博した往年の歌手や高齢の現役歌手が登場する。明らかに衰えた歌唱力に、痛々しい思いをさせられることが多い。「李美子も例外ではないかも」。一抹のそんな不安は瞬時に吹き飛び、哀調を帯びた歌声に度々こみ上げるものがあった。
第1回母国夏季学校の一員として、生まれて初めて祖国の土を踏んだ1966年。「トンベクアガシ」を知り、歌詞の意味は分からずともその旋律に琴線を揺さぶられた。ところが、レコードを買って帰えろうにもどこにも見当たらない。韓日会談反対闘争のさなかの64年、倭(日本)色が濃いとして公に歌うこともレコード製作も禁止されていたことは、かなり後に知った。
コンサート会場はひと目で同胞と分かる年配者が圧倒的に多く、夏季学校で同期だった2世も何人かいた。その一人はプレイボーイを自認し、最新の韓国歌謡を仕入れてはクラブやスナックで歌いたがるので知られている。そんな彼が目を赤く染め、「イヤー参ったね。泣けちゃったよ」と照れ笑いしながら、がらにもなく言った。
「俺たちにとっちゃ『43年目のトンベクアガシ』だよな。初めて韓国に行った青春時代を思い出したよ」。(D)
(2009.9.16 民団新聞)