今年5月に実業之日本社から、『知れば知るほど面白い朝鮮国王 宿命の系譜』(価格800円)を上梓した。これは私の〞知れば知るほど面白い〟シリーズの4冊目になる本で、これまでは『朝鮮王朝の歴史と人物』『古代韓国の歴史と英雄』『朝鮮王宮 王妃たちの運命』と出してきた。すでにお読みくださっている方々には、心から感謝を申し上げたい。
このところ、講演に呼んでくださることも多く、各地で朝鮮王朝の話をしている。最後の質疑応答では熱心な質問が数多く出てきて、朝鮮王朝への関心が高まっていることを実感する。
その質問の中でも特に多いのが、朝鮮王朝の国王の名前についてである。読者の中にも疑問に思っている方がいると思われるので、ここで改めて説明しておこう。
朝鮮王朝には27人の王がいたが、現在私たちが呼んでいる名はすべて諡で、死後に贈られた尊号である。つまり、生前にそう呼ばれたことはないのだ。
その尊号の付け方にはどんな法則があったのだろうか。
まず、朝鮮王朝を作った李成桂は太祖という尊号を受けた。これは、歴史的にも王朝の創設者に贈られる由緒ある諡で、高麗王朝の初代王の王建も太祖と呼ばれている。つまり、韓半島には太祖が2人いるわけだ。
さて、朝鮮王朝の2代王以降は尊号に「宗」の字を用いるのがルールだった。しかし、7代王の世祖の死後にこの決まりが破られた。この王は甥から王座を強奪して評判が悪かった。側近たちにも後ろめたさがあったわけで、せめて諡をりっぱにしようと画策して、世祖という尊号を贈ったのだ。
一度ルールが破られると、あとは、なしくずしになる。その後、尊号に「祖」が付いた王が5人もいるが、首をかしげたくなるのが14代王の宣祖、16代王の仁祖だ。明らかに、残された取り巻きたちのごますりである。
それが証拠に、宣祖は豊臣軍が攻めてきたときに真っ先に逃げ出した情けない王だったし、仁祖は清の皇帝の前で土下座のような形で許しを乞うた屈辱の王である。
こうなると、王位在籍時の業績が死後の尊号に反映されているわけではない、と思わざるをえない。
なお、10代王の燕山君と15代王の光海君の2人は、クーデターで王宮を追放になった王であり、死後も尊号が与えられていない。よって、王子時代の名が今も通用している。 王子の尊称の付け方にもルールがあり、王の正室が産んだ王子は「大君」と呼ばれ、側室が産んだ王子には「君」が付けられた。この決まりをあてはめると、燕山君も光海君も正室の子供でないことがわかる(燕山君の場合は、母が廃妃になっている)。
繰り返しになるが、ハングルを創製した偉大な世宗ですら尊号に「祖」の字が入っていないというのに、世祖、宣祖、仁祖の尊号はあまりに実態に合っていない。
たとえ返上したくても、本人たちにはどうすることもできないのだが……。
康熙奉(作家)
(2012.7.11 民団新聞)