韓国に行くと、真っ先に円をウォンに替えることになるが、最高額紙幣が1万ウォンのときは、財布がやたらと分厚くなって人目がかなり気になった。
そういう意味では、5万ウォン紙幣ができて気分が随分と楽になったものだ。
その5万ウォン紙幣に描かれている肖像画は、申師任堂である。朝鮮王朝時代に〞良妻賢母の鑑〟と称された才女だ。
イメージの中では、もっと細面だと思っていたので、5万ウォン紙幣に描かれているふくよかな顔だちは意外だった。最高額紙幣にふさわしく見た目がプラスアルファされているのかもしれない。
申師任堂は1504年に生まれた。幼い頃から絵の才能が抜群だった。
7歳のときに、有名な画家の山水画を模写したが、それを見た人の中から「本物よりうまいんじゃないか」という声も起こった。そこまで褒められても、幼い申師任堂は「写すだけでは満足できません」と言ったという。すでに独自の画風を探求していたのだ。
彼女が動物を描くと、まるで紙の上で生きているかのようだった。あるとき、虫を描いた申師任堂がその絵を庭で乾かしていると、ニワトリが寄ってきて絵の中の虫を本当に食べようとした。勘違いしたニワトリも、さぞかしアテがはずれたことだろう。
絵画から刺繍に至るまで特別な才能を持っていた申師任堂。ただし、男尊女卑の風潮が根強かった朝鮮王朝時代に、女性が芸術性を伸ばす生活を続けることは難しく、彼女も親が決めた結婚話に従わざるをえなかった。
夫は生活力のない男で、日々の暮らしは苦しかった。そんな中でも、申師任堂は子どもたちをりっぱに育て上げた。〞ダメ男〟の典型だった夫もようやく一念発起して、「科挙に受かるまで戻ってこない」と決意して故郷を後にした。
しかし、夫は挫折してすぐに帰ってきてしまった。
このとき、申師任堂が取った行動が語り草になっている。彼女は裁縫箱からハサミを取り出して、それを喉に当てた。
「あなたが約束を守れないなら、私は死にます。もう、この世に未練はありません」
夫は驚愕し、必死に妻を止めた。そして、自らの至らなさを詫びて、今度こそ念願の科挙に受かるまで自宅に戻ってこなかった。
この逸話には尾ひれが付いているかもしれないが、いやはや申師任堂はとてつもない烈女である。
「もし妻が申師任堂のようだったら……」 首筋が寒くなる男性も多いのではないだろうか。
彼女が現在、最高額紙幣の肖像画になっているのも、韓国の男性を叱咤激励するためではないのか、とつい思ってしまう。
ところで、申師任堂の息子が、儒学の大家の李珥である。彼は5千ウォン紙幣の肖像画になっている。
母と息子がともにその国の紙幣を華々しく飾っている例は、世界でもほとんどないかもしれない。
そう思えば思うほど、申師任堂の偉大さが身に迫ってくる。
康煕奉(作家)
(2012.9.26 民団新聞)