「民団がダメならば…」
「社団」の狙いは組織さん奪
「一般社団法人在日韓国商工会議所」なるところの「朴忠弘会長」という名義で、あちこちに配布されたらしい「本会議所に対する民団新聞による権力偏向報道について」と題する5月24日付の文書を読んだ。社団法人(以下、社団)のその文書は、そのほとんどが自分たちの行いは正当だという自己弁護に過ぎず、都合の悪いことを饒舌によってカモフラージュしようとする意図が見え透いているために、かえって、隠したい事案が何なのかを浮き彫りにした。
韓商連問題の本質
都合の悪い事案とは何なのか。この間の民団新聞と読み比べればはっきりする。
その第1は、第49期定期総会(11年5月)における社団法人格の取得決議に際しての、その前提条件を明示した付帯条項である。
付帯条項には、取得推進に当たっては民団中央本部と緊密に協議するとある。つまり、隠し立てすることも詐術を用いることもなく、民団との真摯な話し合いを尊重するということだ。だからこそ、関係者のほとんどが安心していたのである。
しかしそれは、傘下団体からの離脱ありきの思惑ゆえに反古にされた。
第2は、なぜ社団法人格を取得しなければならないのか、その公の目的である。「公益社団法人」と違って一般社団は、誰でもたやすく設立でき、グレードや信用力が向上するわけでもない。それどころか、デメリットが少なくないことは、インターネットで検索すればすぐ分かる。百歩譲っても、民団と一体になって重ねた50年余の歴史に背を向け、傘下団体でなくなろうとするだけの名分はまったくない。
自己矛盾示す
第3は、今は社団の中心メンバーもかつて、傘下団体としての韓商連に配定された中央委員として、民団の規約・規定に基づいた意思決定に参加し、傘下団体の認定問題や規約改正問題を審議・決議してきた経緯だ。
社団側の「傘下団体からの離脱と関連団体への移行に関しても、当事者の意思が優先されることは至極当然のことであり、これは一連の裁判所の決定からも明らか」との言い分は、自家撞着もはなはだしい。規約改正も中央委の承認を得なければならない傘下団体が、なぜ、「離脱」や「移行」を思う通りにできるのか。幼子にも理解できる理屈だろう。
そもそも、70年になろうとする民団の歴史において、傘下団体が自分たちの意思で離脱したとか、関連団体に移行したケースは1件もない。そのような身勝手な考えをする傘下団体は1つもなかったのだ。
およそ規則・規律を持つ組織で、その構成員たる個人が出入り自由であるわけがない。まして、規模も伝統もある傘下団体においておや、ではないか。社団のメンバーの中にはJC(青年会議所)の経験者、ライオンズクラブやロータリークラブの会員もいる。どんな経験を積み、いかなる見識を培ったのか。
「一連の裁判の決定からも明らか」というもの言いも、ふらちきわまりない。社団側が起こした本裁判はすべて進行中であり、一つも判決が下されていないのに、何が明らかになったと言うのか。民団新聞に「虚偽報道」の汚名を着せる前に、自らの虚偽言説を少しは省みるべきだろう。
騒動を起こしている社団側の中心は結局、1人の人物に過ぎないと私は思っている。その人物を仮に、狭い社会の中で偉そうに振る舞いたがる「お山の大将」と呼ぶことにしよう。
河丙執行部が民団を総連に売り渡そうとした06年の5・17事態を想起して欲しい。「お山の大将」は、その年2月の民団中央団長選挙で河氏を担いだ。全国民団の反発が強まり、河団長の退陣が現実味を帯びてくると今度は、退陣要求の先頭に立つポーズを取り、次期執行部を牛耳ろうと画策した。自分が中央団長になるとの野望があったのは間違いない。
破壊許さない
しかし、民団はそれほど甘くはなかった。「お山の大将」が期限切れになるのに、因果がめぐって敵があまりにも多く、中央団長になれる可能性は見えてこない。ならば、「お山の大将」に居座り続けたい、そのためには「お山」を私物化するしかない、という結論になったのだ。
その「お山の大将」に、5・17事態を主導した河執行部の幹部数人が加勢した。民団中央本部が乗っ取れないのなら、韓商連を奪い取ろう。こうして両者の思惑・利害が一致したというのがことの真相である。
河執行部の幹部数人というのは、70年代前半に、民団の破壊策動をほしいままにした総連のフラクション・グループである現・韓統連のメンバーだ。その破壊策動と闘い、民団を守る過程で誕生したのが青年会である。その草創期の一員であった誇りは、60代のいまも私の支えになっている。青年会OBはスクラムを固め、民団破壊策動を再び粉砕しよう。
(2013.7.3 民団新聞)