突出する「嫌韓」意識
歴史修正主義が産んだ変種
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東アジア地政学の鬼子
キャッチコピーには「ヘイトスピーチを生み出した憎悪の根源へ」とあり、「日本型の排外主義運動はいかにして発生し、なぜ在日コリアンを標的とするのか? 『不満』や『不安』による説明を超えて、謎の多い実態に社会学からのアプローチで迫る。著者による在特会への直接調査と海外での膨大な極右・移民研究の蓄積を踏まえ、知られざる全貌を鋭く捉えた画期的成果」と記されている。
ヘイトスピーチ(憎悪表現)問題を扱った出版物は少なくない。日本ジャーナリスト会議賞、講談社ノンフィクション賞を受賞した『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』(安田浩一著・講談社)が著名であろう。本書はそれとは異なるスタンスに立つ。
「1990年代以降の日本は、高度経済成長期の安定的な社会構造を喪失し、グローバル化と経済の長期低落にともなう社会の流動化が『不安』を生み出している。その不安が最悪の形で露出したのが、弱者を攻撃する排外主義である。寄る辺なき不安を抱えた若者たちは、それを他者に対する憎悪へと変換させ、外国人排斥を訴えて街を練り歩くようになる」
2000年代以降のナショナリズムや排外主義に対する解釈の定型を著者はこうまとめ、事象の本質を見極めるのが容易でないゆえに、新たな発見の努力よりも紋切り型の言葉に頼ろうとするものだとたしなめる。
「不満」説では限界
たとえば、ニューカマー外国人と違って長い居住の歴史を持ち、他国なら標的になる可能性が極めて低い「在日コリアン」(のような存在)がなぜ、今になって排斥の対象になるのか、その定型では十分に説明できない。日本型排外主義は「外国人問題」の産物ではなく、どこまでも「東アジア地政学の鬼子」なのだ。
韓日中の主要3国が複雑に絡み合う「東アジアの地政学的構造」を「歪んだ形で反映するのが『特亜』『嫌韓』といった近隣諸国に対するラベリング」であり、「それが『在日特権廃絶』という主張につながる点で、日本型排外主義はすぐれて政治的な性格を持つ」と著者は言う。(「特亜」とは「反日的」なアジアの特定国の意)。
以下、本書の主要な論点を要約する(用語は原文のまま)。
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右派論壇を揺り籠に
日本の排外主義運動には、既成右翼の一部、歴史修正主義的な右派市民運動、ネット右翼という三つの源流があり、西欧的な「外国人・移民排斥」というよりも歴史修正主義の一変種としての性格が強い。
在特会は、「右翼崩れ」からノウハウを、歴史修正主義から係争課題を、インターネットからネット右翼という動員ポテンシャルを得てきた。在特会の新しさは、インターネットへの依存度が極端に高く、組織されざるネット右翼を組織化したことだ。
「在日特権」なるフレームは、真空状態から生まれたわけではない。主張は既成政治勢力のそれの焼き直しに過ぎず、右派論壇の傾向を反映する。冷戦終了後の1990年代後半から、それまでの仮想敵国に代わる敵手として結晶化したのが「反日」勢力としての東アジア近隣諸国であり、2000年代になってその傾向に拍車がかかった。排外主義運動が在日コリアンに見るのは「本国」の幻影である。
しかし、それだけで韓国に執着する度合いの強さは説明できない。右派論壇で2000年代に圧倒的な存在感を示すのは中国であり、拉致問題との関連で北朝鮮が敵役となる年もあった。韓国の登場頻度は中国の3分の1、北朝鮮の3分の2でしかない。
ところが、在特会にとっての主たる敵はあくまで韓国だ。2013年5月に在特会がウェッブ上で行った投票結果では、5272人のうち78%(4123人)が韓国を「一番嫌いな国」としていた。中国は12%、北朝鮮は4%であり、「嫌韓」ぶりは徹底している。
右派論壇にとっての中国は、軍事も含めて全面対決する最大の敵であるのに対して、韓国は主に歴史認識をめぐる敵となってきた。右派論壇と排外主義の接点はここにあり、従軍慰安婦問題を最大要因に歴史修正主義が韓国に特化したのが排外主義運動と言えよう。
戦争責任免罪が根
日本型排外主義の起源は、冷戦構造の下で米国の傘下に入ることにより、戦争責任や植民地清算を曖昧なまま処理することが許されてきたところにある。排外主義運動は、単なるレイシズムとしての在日コリアン排斥ではない。「主流の歴史に対して不協和音を奏でるような物語」を体現する存在を、汚辱の歴史とともに抹殺したいという欲望が根底にある。
右派論壇↓(インターネット)↓排外主義運動という一方通行による言説には、「劣化」するという因果関係にとどまらない現象がある。「対馬が危ない」という議論は、インターネットを起点とするデマであったが、それが右派論壇でも取り上げられるに至った。外国人参政権によって「離島が乗っ取られる」という議論も、もともとはインターネット上のデマだった。こうしたデマは国会質問という形で保守政治や右派論壇に流れ込む状況が生じている。
外国人参政権は「嫌韓」「嫌中」の文脈で論じられ、人権問題よりは近隣諸国に対する敵意を反映するものとなっている。外国人の権利をめぐる国内問題(政治的統合)を完全に離れ、日本と他の東アジア諸国とをめぐる安全保障の従属変数になった。
ヘイトスピーチ規制には基本的に賛成だが、これだけで抑制はできない。それを許容する言説の機会構造の問題に、ひいては戦後日本が積み残してきた近隣諸国との間の課題に取り組むことが、今まさに求められている。
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政界に流れ込むネット・デマ
在特会が日本社会の脅威として列挙する「在日特権」のうち、もっともらしく映るのは「生活保護優遇」であろうか。本書が紹介した外国人の生活保護実態(2011年)によれば、世帯数における推定被保護率は日本全体で1・6%であるのに対し、韓国・朝鮮籍は8%とベトナムの9・2%に続いて高い。
これについて著者は、高齢世代における就職差別や社会保障からの排除がもたらした「過去の負の遺産」であり、就労者や若年層の日本国籍取得あるいは日本人との結婚が増え、「国籍」で区切った見かけ上の受給比率が増加したためであって、ホワイトカラー比率の向上によって問題は解消しつつあるとする。また、在日コリアンによる犯罪の絶対的な発生率は、日本における犯罪の少なさの原因の一つとして語られるほどに低く、厳しい就職差別という社会経済的状況を勘案すれば驚くほど少ないともつけ加えた。
禍根を積む過程に
しかし、「在日特権」という虚構は、近隣諸国への敵意と歴史修正主義の共鳴力を借りて潜在的支持層をひきつけてきたと言う。荒唐無稽なものが人間集団による運動を生み出すに至った現実は、日本と近隣諸国の将来に禍根を積み上げていく危うい時代状況にあることを意味する。
それに警鐘を鳴らすべき有力メディアの筆鋒は弱い。むしろ、排外主義の揺りかごになった右派論壇に、ネット右翼を起点とするデマが流入し、それがまた、そうした動きと一線を画すべき政界や大手メディアにまで影響を与えてきた。これこそ深刻な事象と言わねばならない。
「対馬が危うい」といったデマは、09年頃から「対馬市で自衛隊施設の近接地が韓国資本に買収されている」などとして産経新聞のキャンペーンにつながった。「離島が乗っ取られる」のデマも、読売新聞(10年2月1日付)が社説で正面から取り上げた。
「与那国島は、直近の町議選の当選ラインが139票だ。特定の政治勢力(永住者をして影響力を行使するかも知れない北朝鮮や韓国、中国のこと)が町議会を通じて陸自配備への反対運動を盛り上げようと、永住中国人を大量に集団移住させれば、反対派の町議を簡単に当選させることができる。(中略)一町議選であっても、安保政策が歪められる恐れがある」
大きい言論の責任
あまりにも異様な論旨と言うほかない。「選挙権が欲しいなら帰化すればいい」という論法と照らし合わせよう。「永住権」の取得要件は、国籍離脱に関することを除けば「帰化」とほとんど差がない。つまり、永住外国人が後天的日本国籍者を含む日本国民と異なるのは、国籍だけなのだ。それなのになぜ、永住外国人は母国の指令によって集団的に動く存在と見なされるのか。
まさしく、本書で指弾するところの「外国人参政権」の安保問題化である。こうしたネット右翼を水源とする「不安」が「それまで日本政治を見事に統治してきた政党」である自民党をして、「政務調査会与那国町調査団」を派遣するほどの信憑性を帯びた。著者は、そのメンバーとの仮想のやり取りをプロローグでまとめている。こう要約していいだろう。
「永住資格を持つくらいの生活基盤を確立した人たちが、わざわざ過疎地帯に集団で引っ越す? ふーむ、某国人永住者は過疎の町でも生計を立てていける特技を持っている? えっ、某国政府が年間300万円出して生活を支える? それが150人として年間4億5000万円。選挙は4年に1回だから18億円でたった1人の町会議員か。普通に考えれば、某国人が移住した結果として起こるのは、内政干渉ではなく過疎化の緩和です」
右派論壇とネット右翼のデマがキャッチボールを繰り返し、煽りあおられながら排外的な言説を膨らませてきた。極めて愚かな構図である。しかし、このひと言で一蹴するわけにはいかない。多くの日本人が共有しているはずの「かつて歩んだ道」についての教訓を、今こそ戒めとすべきだ。大手メディアの責任はとてつもなく大きい。
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プロフィール
樋口直人 1969年生まれ。徳島大学総合科学部准教授。主な著書=『社会運動の社会学』(共編著・有斐閣・04年)、『社会運動という公共空間―理論と方法のフロンティア』(共編著・成文堂・04年)、『顔の見えない定住化―日系ブラジル人と国家・市場・移民ネットワーク』(共著・名古屋大学出版会・05年)、『国境を越える―滞日ムスリム移民社会学』(共著・青弓社・07年)、『日本のエスニック・ビジネス』(編著・世界思想社・12年)
(2014.3.26 民団新聞)