黙々と炊事、洗濯、清掃…
「希望の灯をともそう」。旅客船セウォル号沈没事故が起こってから2週間余。まだ肉親の行方が知れないまま、打ちひしがれている家族らの力になればと、全羅南道の珍島に全国から駆けつけたボランティアは延べ2万人近くに達する。国全体が悲しみにくれる中で、犠牲者家族らの支えとなっている。
アフガニスタン出身のシャムス・サミム(27)、マハク・パレンギス(28)夫妻は、行方不明者の家族が待機する珍島室内体育館内の清掃や食事の準備などを手伝った。朝8時から夜10時まで休むことがない。寝起きは車の中だ。
2人はアフガニスタン駐在韓国国際協力団(KOICA)の仕事をサポートした縁で、韓国の奨学生として09年、忠清南道の大学に入学。今年2月に卒業したばかりだ。
テレビを通じて見た沈没寸前の映像は、昨年6月、済州旅行に行く時に乗った船だった。「つらい思いでいる家族らに、自分が受けた恩を少しでも返すことができれば」と言葉少なに語った。
インターネットやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じて、「セウォル号のボランティアに行きたい人は連絡先を記して」との案内文を見て、全国から大学生や主婦、会社員らボランティアが続々と集まった。
体育館近くのテントにマットを敷き、睡眠は3〜4時間。食料を準備し、トイレの清掃や洗濯をする。「洗濯回収」の掲示板を掲げながら家族間を歩き回る。20人ずつ、数日間で交代しながら、与えられた役目を黙々とこなす。
遺体発見のニュースが伝わるたびに、嗚咽する家族を温かく慰めるのも、彼らの務めだ。家族と一緒に過ごし、悲しみを分かち合う。全北ボランティア総合センターの関係者は、「食物がのどを通らず、水だけ飲んでいる人もいる。ここに来た人は涙を流さずにはいられないだろう」と語った。
行方不明の父親(60)を待つ金さん(31、自営業)は、「最初は苦しさからボランティアにまで声を荒げたりしたが、ずっと世話を続けてくれて本当にありがたい」と感謝した。
「天安艦」遺族も
また、哨戒艦「天安」46勇士の遺族が3日までの4日間、珍島体育館を訪れ、ボランティア活動を行った。李インオク遺族協議会会長は「私たちの家族が苦しんだ時、全国民の声援が力になったから」と強調した。
現場で心理相談をしているハ・ジョンミさん(釜山昌信大学)によると、「絶叫する犠牲家族らを見て、心理相談を受けるボランティアが増えている」という。怒りのため時々大声を張り上げていた家族たち。今では気力の尽きた状態で横になり、救助作業を伝える大型スクリーンを無表情で見守る人が多い。
遺体が見つかるたびに、遺族のために体育館から彭木港にワゴン車で送り迎えするのは、檀園高校のある京畿道安山市から来たボランティアだ。「同じ町に住む人たちだけに、余計に心が痛む。すべての行方不明者が見つかるまで手助けしたい」。彭木港から400㌔以上も離れた安山の葬儀場まで、毎日、無料で乗せるタクシー運転手もいる。
(2014.5.7 民団新聞)