往年の運転好きならかなりの確率で、自分の「技術」や「度胸」を自慢したことがあるはずだ。「東京の中心部から青森市内まで渋滞につかまろうが毎回必ず6時間で走破したもんだ」「抜き去った車は数知れず。抜かれたことは一度もない」。「生意気な車を見ると後ろにぴたっと寄せてさ、バッシングしてビビらさないと気が済まない」。もっとひどいのもある。
「水戸、宇都宮、甲府あたりでの仕事が終わると決まって瓶ビール1本と冷えた地酒を4合飲むんだ。おれの走りなら都心まで1時間。家に着くとちょうどいい酔い加減になっている」「ぐでんぐでんでさぁ、高速飛ばすと気持ちいいよな、やっぱり。おれのエンジン大きいからさ、アクセルをガッと踏み込むと体がシートにグッと押しつけられるんだ。その感じがたまらんのよ」。
無謀な自分に酔うような手合いを心理学的に分析するだけの知識はない。はっきり言えるのはただ一つ、つまらぬ豪毅や自己顕示は最悪の事態についての必要最低限の想像力さえ奪うということだ。しかし、である。そんな手合いでさえ、家族が同乗すればハイヤードライバー並みの運転を心がけたりする。家族を守る者としてのプライドが働くからだろう。
満員の客を乗せて100㌔超で突っ走る韓国の路線バスに憧れたことのある知り合いは、友人が半身不随になる事故を起こして会社も家庭も潰したことにショックを受け、走り屋をきれいに返上した。今ではゴールド免許を見せながら「安全運転」を心がけると紳士のような高貴な気分に浸れるなどとおっしゃる。「今すぐ韓国に行くべきだ」と進言しておいた。(K)
(2014.5.14 民団新聞)