乗り合わせたタクシーの運転手から、「江華島に来たなら、ぜひコインドルは見て行ってください」と言われた。コインドルとは古人石を意味し、古代から伝わる巨石の墓のことをいう。学術的には支石墓と呼ぶのが正しいが、現地の人々は親しげな響きでコインドルと口にする。
かくて江華島必見の名所、富近里のコインドルに足を伸ばすことになった。高麗宮址から車で15分たらずの距離だが、時代的には高麗王朝から古代の青銅器時代にまで、一気に3千年あまりを飛び越えることになる。
支石墓はドルメンとも呼ばれ、世界各地に6万基ほど存在するが、約2万5000基が韓国にある。江華島の支石墓は支柱の上に横長の石をテーブル状に載せた北方型と呼ばれるもので、その代表格が富近里の江華支石墓だ。
一帯はコインドル公園として整備され、遠目には芝地の中にぽつんと立つだけに見えたのだが、近寄ってみて、その力感、重量感に圧倒された。全体の高さは2・5㍍、覆いの部分の巨石は長さ6・4㍍、幅5・2㍍に及び、この部分の重量だけでも50㌧にもなるといわれる。
どうしてこのような巨大な石を組み建てることが可能だったのか‐。答えは隣接する江華歴史博物館で、ミニチュア人形を使って解説している。先に掘った2つの穴に支柱となる石を立て、全体に土を盛って小山を築いた後、覆いとなる巨石をコロ(丸太)を敷いた上を滑らせて引き上げ、最後に土を払って完成する。何百人もの人力が動員されたと推測されている。
しばらくは巨石の前にたたずみ、じっと眺めてみた。2つの支柱は傾き、覆いの巨石も斜めにずり落ちかけて、微妙なバランスで留まっている。地震でずれたのだろうか。そのずれ具合が、人為を超えた「神業」そのもので、印象を強くする。続いて周囲をまわりながら観察したが、角度によっては亀のようにも獲物を狙う鷹のようにも、またミサイルを載せた装甲車のようにも見え、多様な表情に驚く。
イギリスのストーンヘンジに代表される如く、古代の巨石遺蹟にはもともと支配者の墓であったり宗教儀式的な意味合いがあったりした筈だが、今ではそういうソフトにあたる要素は払拭され、ハードの核たる巨石だけが無言でたたずむ。それがかえって、時代を超えた侵しがたい不動の力となって粛然とそびえることになる。何王朝、何時代など、人智のいざこざが織りなす盛衰を薄ら笑うように傲然と迫り、太古から変わらぬ知恵の金字塔として不思議な輝きを発する。パワースポット信奉者ではなくとも、何がしかの圧倒的な力に打たれ、パワーをもらうこと必定である。
とその時、唸るような重く低い音が地を鳴らして迫ってきた。公園の裏手に15台ほどの戦車が集合し、演習に出ようとしている。江華島は韓国の西北の端、漢江河口部を隔てて北朝鮮と向き合っている。川幅の最も狭い所は1・8㌔にすぎない。古代との対話は断ち切られた。時を超えてそびえるコインドルを囲む冷酷な政治的現実。その対比の厳しさに、胸底をえぐられる気がした。
多胡吉郎(作家)
(2014.5.14 民団新聞)