少なくとも韓日修好50周年を祝祭的な雰囲気で迎え、その勢いで18年平昌、20年東京のオリンピックをともに成功させるべく力を合わせよう、との真摯な声が両国で広がっている。
もう一つ、今日の歴史摩擦を離れ、古代交流史から韓日関係を見つめ直そうと考える日本人も増えているという。キーワードは「1300年」である。
668年に滅亡した高句麗からの渡来人1799人が高麗若光を首長に、武蔵野の大地に高麗郡を開いたのが716年。若光を祀る高麗神社は再来年、日高市などとともに建郡1300年祭を盛大に行う。また、東京五輪の20年が日本最古の勅撰正史、日本書紀が完成して1300年に当たることにも関心が向いている。
言うまでもなく、書記には高句麗、百済、新羅の国名や人物が頻繁に登場し、韓半島と日本列島の間の文物や人の活発な往来が記されている。もちろん、各国や有力者の思惑、虚々実々の駆け引きがあり、今日と変わらない外交戦が展開されていたことが分かる。
だが、謎が多いだけにそれがロマンとなって今人の興味を尽きさせない。例えば593年の条には、「法興寺(飛鳥寺)の刹柱を建て、心礎の中に仏舎利を安置。蘇我馬子以下100余人、百済服を着用して参列」などと記されている(吉川弘文館。対外関係史総合年表より)。当代随一の権力者・馬子がなぜ、百済の服を?
二つの1300年イベントが古代交流への関心をかきたててくれればと思う。古代史の謎解きはそれが珍説であっても、発想を豊かにすること請け合いだ。「嫌韓」「反日」のネタ探しなぞ惨めになってくる。(U)
(2014.8.27 民団新聞)