大邱の西部ターミナルから1時間半もバスに乗り、目的地に着いた。伽耶山の山あいの寺、海印寺。遠路はるばる訪ねたのにはお目当てがある。海印寺が所蔵し、ユネスコの世界文化遺産にも登録された高麗八万大蔵経だ。
一柱門から寺内に入り、鳳凰門、解脱門と進んで本殿の大寂光殿に至る。見どころは多いが、どうしても足早になる。目指す大蔵経の版木は寺の最も奥、蔵経板殿が保管する。まずはともかく大蔵経との思いが歩みを急がせる。
高麗王朝は仏教を国是とした。蒙古襲来の折、江華島に都を移して抵抗を続けたが、仏の力で国難を乗りきれるよう、王命により大蔵経の製作が始められた。大蔵経は仏教経典の一切をまとめたもので、経、律、論の三蔵とその注釈からなる。ありがたい仏の教えの総集編のような大典だ。
製作開始から15年、1251年に江華島で完成、その時の版木が朝鮮王朝成立後の1398年になって海印寺に納められ、今に至る。版木が8万枚あまりになることから、八万大蔵経とも呼ばれる。
14世紀から16世紀にかけ、八万大蔵経は朝鮮と日本を結ぶ懸け橋ともなった。1395年、倭寇の連れ去った朝鮮人570人が母国に送還された際、朝鮮は交渉相手の九州探題・今川了俊に大蔵経2部を贈っている。宝物を手にした了俊は「果てなき海のごとき恩に感じ入る」と述べ、感激を露わにしたという。
朝鮮王朝が儒教を国是とし仏教を斥けたこともあって、それ以降、日本側が所望してやまない大蔵経を外交上の謝礼品として与えることが慣例化する。現在、日本には16種の大蔵経が存在するが、これらはすべて海印寺の版木で印刷されたものといわれる。
ようやく蔵経板殿に着いた。が、意外な事実が待ち受けていた。大蔵経は2016年まで観覧制限中だというのだ。南大門を始め重要文化財の火災事故が相ついだための措置だそうだ。蔵経板殿の周辺にはロープが張られ、その外側から距離を置き、格子戸ごしに覗き込むしかない。外は燦々とした日光に溢れ、中は薄暗くてよく見えない。 何ということだ。大蔵経のためにここまでやって来たのではないか。しかも私の場合、是非とも写真がほしい。ロープのそばに立つ監視員に事情を説明し、連載記事のためにどうしても写真が必要だと頼みこんだ。
「ダメだよ。監視カメラだって作動中なんだ」‐。なかなか取りつく島がない。が、こちらも必死だ。「格子戸越しでいいんです。このカメラで1枚だけ撮って下さい」‐。拝み倒すように懇願した。仕方ないなという風に監視員は私のカメラを奪い取り、格子戸に接近した。パチリ‐。かくて大蔵経の版木が並ぶ内部の模様を、何とかカメラに収めることができた。
監視員とのやりとりを微笑みながら見ていた男がいた。大蔵経の一部を印刷し、傍らで売っている。「般若波羅蜜多心経」の冒頭、版木1枚分を刷った土産物である。
「ひとつ下さい」‐。迷う間もなく声を発していた。大蔵経に憧れた古人のDNAを私も宿しているらしい…。下山の道をたどりながら、思わずひとり苦笑した。(作家)
多胡吉郎(作家)
(2014.9.10 民団新聞)