日本の国益も損う
自治体・中央政府あげて取り組め
在日韓国人などを対象に「殺せ!」「叩き出せ!」などと叫びながら過激な街宣を繰り返すヘイトスピーチ(憎悪表現)集団は、日本社会にとってあまりに異様で異質であるがゆえに、いずれ消滅していく。
後退する日本
こんな見方をする人々は今も少なくない。私もそのように考えるか、思い込もうとした時期があった。しかし、日本は一線を越えた。レイシズムの淵源となる偏狭なナショナリズムに対する抑止能力は、懸命に努力しなければ維持できない。その努力を支える社会的な意欲・見識は明らかに後退している。
ヘイトS集団は日本社会のなかで、異様に映っても決して異質ではなく、孤立しているわけでもない。日本内外でほぼ同時に起きた地殻変動を背景にした、政官民の横断的な歴史修正主義運動の亜種・変種ではなく、れっきとした産物と見る必要がある。
東西冷戦の終焉(90年)が流動化させた国際的な政治・安保秩序は、米国による一極支配時代を経て多極化に移行した。日本は国際環境の不安定な新展開を前にして、バブル崩壊(91)にともなうデフレにはまったまま経済を長期停滞させ、55年体制に終止符を打って政界再編という名の合従連衡を常態化させ、政治的にも低迷した。
その過程で日本は、巨大化した中国との軍事衝突をも想定せざるを得ない摩擦、核兵器開発を進める北韓からの脅威に戸惑い、厳しい対日姿勢を崩さない韓国への不信を増幅させてきた。東アジアの地政学的構造に根差す危機意識を募らせてきたと言える。
攻撃が陰湿化
日本でよく言われる「失われた20年」には、デフレによる資産(価値)消失だけでなく、政治指導力の劣化が含まれる。そうした自信喪失の反動の上に、「日本を取り戻す」をキャッチフレーズにした現在の第2次安倍晋三政権がある。
「(強い)日本を取り戻す」要諦は優越史観の普及にあり、その主たる障害となってきた国内の「自虐史観」勢力や韓国との歴史闘争に勝たねばならない。こうした歴史修正主義の動きは90年代前半から本格化したとはいえ、それでもしばらくは右派論壇による世論工作と歴史教科書の記述改訂のレベルにとどまっていた。
韓日間の歴史認識をめぐる葛藤は時を追って強まりながらも、半面では韓国ドラマ人気が火をつけた韓流が社会現象となり、97年末のIMF危機を大胆な構造改革で克服し、再びの経済躍進を見せる韓国に「学べ」と呼びかけるメディアも目立った。嫌韓と好韓が併存していたのだ。
今はあきれるほどに変貌し、韓国に対する罵詈雑言がメディアにあふれている。嫌韓は勢いづくきっかけを待っていただけのことである。過激な街宣を繰り返すヘイトS集団だけに耳目を奪われてはいけない。韓国とそれに連なる在日への陰湿で執拗な攻撃が広がっている。
植民地政策によって犠牲となった同胞を悼む施設が撤去を、あるいは「強制連行」や「強制労働」の字句削除を、日本各地で迫られている。関東大震災時の大量虐殺さえなかったことにする圧力も顕著だ。同胞の原爆犠牲者を祀る広島の施設は傷つけられ、長崎では慰霊碑建立さえ露骨な妨害を受けている。
法規制も限界
自分たちが描く歴史に異を唱える存在自体を抹消したいのだ。ヘイトSを法的に規制しても、あるいは韓日関係が好転しても、こうした動向を抑制するには限界がある。歴史修正主義と排外主義の連動を放置すれば、日本は二つの側面で深刻な事態に直面するだろう。
一つは、排外主義が勢いとその対象を拡大して国政を大きく左右する恐れであり、もう一つは、東アジアの地政学的構造のなかで孤立し、国際社会からも信頼を失うことだ。「取り戻された日本」が国粋主義に汚染されていては本末転倒だろう。
「河野談話」や「村山談話」が日本を縛りつけているのではなく、実は日本を守る防波堤になっていたことに気づいたときはもう遅い。歴史修正主義+排外主義の抑止に自治体・中央政府あげて取り組むべきだ。
(2014.9.24 民団新聞)