続く「渡来」隠し
統治期の「強制」も標的に
ある食材を定期購入している関係で、その生産会社の社主(88歳)が自ら書く「近況ご報告」が送られてくる。その秋号にこんな一文があった。
「神社史」は今も正しく伝えるか
「今の日本で、せめて早く解決してもらいたい事は、奈良時代より前の、《日本歴史》が学校の教科書から、消されたままになっている事です。教えなくなった状況が、いかにも不自然で、しかも、全国の古い大きな神社などが、神社史の名目で、昔のままの日本書紀ふうの歴史を、参拝者に配付しますから、政府が消去した古代の日本史の、穴埋めの役をして、重宝されている感じ!」
教科書云々についてはよく分からないが、社主の言う「日本書紀ふうの歴史」がどういうものかはほぼ察しがつく。
『日本書紀』は、595年に来朝した高句麗の僧・慧慈を、後に「聖徳太子」になったとされる皇太子・厩戸皇子の師とした、などとあるように、韓半島古代3国からの人物や文物の来歴をあれこれと記しており、古代交流の豊かさをしのぶことができる。
社主はおそらく、そうした史実を消すな、改ざんするな、と言っているのであろう。締めくくりには「寿命も終わりそうになりましたので、近頃は、遺言のような事を言う事が多くなりましたが、本当に、日本の国の事が心配なのです」ともあった。
この一文に関心をもったのは、民団新聞で「尾を引く葛藤 金沢庄三郎『日鮮同祖論』」(11月12日付)を読んだこと、私自身にもその種の問題で不愉快なことがあったからだ。
『同祖論』の著者・金沢は、高津神社(大阪市中央区)の祭神が仁徳天皇ではなく、もともとは朝鮮の神(比売語曾=ひめこそ)であったとし、その氏子であることが自分の朝鮮研究の原点と語った。彼はまた、朝鮮は「神国」であると言い、朝鮮から日本列島に渡来して祀られた神を列挙する一方、従来の学者の多くがそれを快く思わず、極力これを回避したとも書いた。
社主の期待する聖域のような「神社史」も実は、祭神を入れ替えるなど、すでに、かなり、改ざんされているのではないか。「新羅(しらぎ)」が「白木(しらき)」になった例はたくさんある。「高麗(こうらい)」の「らい」が「来」になり、「高来(たかく)」などに改称された例も少なくないはずだ。
神奈川県大磯の高来神社はその典型と言えるだろう。埼玉県の高麗神社の祭神・高麗王若光は、この大磯に上陸し、厚木、相模原、多摩丘陵と北上し、日高市の巾着田に定住した。大磯の上陸地点は現在の唐ヶ原(もろこしがはら)で、付近には高麗山があり「高麗」の地名も残っている。
高来神社も明治以前は「高麗寺」と称した。若光と深い関係があるにもかかわらず、そこの宮司は「うちは朝鮮と関係ない」という態度をとり、郷土史家や地元大学の研究グループらのひんしゅくを買っている。
高句麗からの渡来人が祭神であることを全面に出し、2016年に高麗郡建郡1300年祭を挙行する埼玉の高麗神社のような存在は少ないのかもしれない。
跡形なく消えた由来を示す石碑
私自身にかかわることについても書いておきたい。我が家は35年前、「密陽朴氏之墓」を日本の寺院に建てた。その後、金さん、李さんの墓がいくつかできた。なおかつ、我が家の墓のそばに20年ほど前だったか、同寺院とその住職家の「史略」を刻んだ立派な石碑がお目見えした。
白村江の戦い(663年)後の皇位継承をめぐる壬申の乱(672年)で、新羅系と百済系が激突し新羅系が勝利したことから説き起こし、源頼朝を擁して鎌倉幕府を樹立した「相模武士団」の礎となった「渋谷七党」の系譜につらなることが、史跡・資史料の所在を示しながら詳しく書かれていた。
これを読んだとき、自分もいずれ入る墓をここにつくってよかった、と思ったものである。写真も撮ってある。だが、その石碑が跡形もなくなっていることを最近知った。寺院側にそれとなく経緯を聞いたが、「私的な事柄なので」と取り合わない感触だった。何らかのイチャモンがついたのだろう。
韓半島から渡来した神・人物・文物の存在を消すか、その影を薄めようとする日本の動きは、浅学の身ながら、いくつかの波があったと考えている。第一波が白村江の敗戦後、第二波が江戸期の本居宣長から明治期とすれば、現在は第三波の渦中にあるような気がしてならない。
第三のその波濤は、風雪に耐え定着した古代の史実をもなし崩しにしようとするのだろうか。古代に限らず、植民地時代の苛酷な強制労働の現場に建つ慰霊碑などから「強制」の文字を消し去り、あるいは慰霊碑を撤去するか建立を妨害する動きにまで拡大している現実に驚かされる。
こうしたことを「歴史修正主義」と呼ぶらしいが、正しくは「歴史改ざん主義」とすべきだろう。だが、韓日両国における研究の蓄積は無視しようもなく、今後とも、古代の新たな資史料の発掘が続き、日本列島と韓半島との関係がますます解き明かされると展望されている。古代でもそうなのに、前世紀にあった植民地時代の事実までをどう隠そうというのか。
いくらうまくやったところで、外から見れば頭隠して尻隠さずになるだけだ。古代ローマの哲学者キケロは「自分が生まれる前を知らなければ、ずっと子どものままだ」と言った。「歴史改ざん主義」は、価値観を特異でせまい殻に閉じこめ、日本の内面を醜くゆがめることになる。
世界でも評価の高い日本人のモラルは、その問題を素通りするのだろうか。
(2014.11.26 民団新聞)