「北送」なお礼賛…あまりにも悲惨な片道切符
李三竜(71)自営業・神奈川県
今年5月に結成60周年を迎える朝鮮総連は、機関誌「朝鮮新報」で「総連結成60周年 誇らしい歩みをたどる」と題した連載を2月9日付から開始した。筆者は呉圭祥・在日朝鮮人歴史研究所副所長だ。
北韓独裁公認の「総連運動史」であり、金日成・金正日・金正恩3代称賛と総連指導部の自画自賛に満ちたものに終始するだろう。
連載3(3月2日付)は「帰国運動、祖国往来運動 1958ー1972」。「民主主義的民族権利闘争で実現した初の勝利」との大見出しに「川崎 中留分会を発端に」「65年から始まった往来の自由」との小見出しを付け、本文で「帰国事業」を美化してやまない。
もう半世紀以上も前のことだ。東京都内の同胞多住地域に住んでいた私の身近なところからも、苦しい生活を余儀なくされていた友人(当時高校生)とその家族、比較的に恵まれていた総連支部幹部の娘夫婦(いずれも本籍地は韓国南部)なども北韓に移住した。この「帰国事業」について、「連載」内容に則して、あえていくつか批判したい。
まず、「帰国運動」の本格的な始まりは総連川崎支部中留分会の同胞たちが金日成宛ての手紙を採択したことだとしている。だが、この手紙の採択は、北韓当局の指示に基づき、「帰国運動」を扇動するため総連中央があらかじめ準備していたものだったことは、学者らの研究により明らかとなって久しい。
北韓当局の巧妙なシナリオに基づき、総連は北韓を「地上の楽園」であり、「医療費はすべて無料。家や希望する仕事もあり、楽園の暮らしが保証される」「南への帰郷も、日本との往来も遠からず可能になる」などとの虚偽宣伝を大々的に繰り返し、全組織をあげて「帰国」を煽り、強引に実行したのだ。
「人道的事業」だとする日本の政府・政党の積極的協力と日本のマスコミあげての北韓体制賛美キャンペーンのもとで推進された「帰国運動」の結果、59年12月から始まった「帰国事業」は67年で一旦終わったが、総連による猛烈な再開運動により、84年10月まで継続された。最終的には、在日同胞の7分の1に該当する9万3340人(日本人配偶者含む)もが北韓に送り込まれた。
連載は「在日同胞の帰国事業の実現は共和国の社会主義制度と人民的施策の勝利であり、在日朝鮮人の民主主義的民族権利争取闘争で実現した初の勝利だった」「帰国事業は資本主義から社会主義への民族の大移動と呼ばれる人類史的事変だった」とまで賛美している。
しかし、「帰国同胞」を待ち受けていたのは日本でよりもはるかに貧しく厳しい生活であった。90年代の大飢饉ではまっさきに犠牲となったと伝えられている。
連載はさらに、「総連は、権利闘争の次の段階として祖国への往来の自由を争取するための闘争を展開した」とし、「帰国の権利や往来の権利は総連と在日同胞が血と汗を流して争取した権利だった」と締めくくっている。
だが、この「往来の自由」の実態は、日本からの一方的な「祖国訪問」であり、「帰国同胞」の日本訪問は最初から想定されていなかった。
北韓当局は、現在まで一貫して、基本的人権で、国際法的原則である「出国の自由」および「居住地選択の自由」をまったく無視している。「帰国同胞」の日本への自由往来はもとより、一時帰省や墓参りすら、いまだに認めていないのだ。
総連中央は、肝心な「帰国同胞」全家族の生死・住所の確認と在日家族・親戚との自由な再会・相互訪問の実現については、北韓当局に対して一度も要求することなく、今日に至っている。
次の世代のためにも、悲惨な事実を正しく伝えなければならない。
(2015.3.18 民団新聞)