「小山富士夫って知ってる」。飲み会で日本人の友人が話を切り出した。数年前、韓国人の陶芸家と知り合ったのをきっかけに、自身も都内のカルチャーセンターで陶芸を学びながら、日本で人気がある朝鮮朝時代の白磁にも関心を向けていた。
白磁といえば植民地統治下の韓国で、陶磁器や民芸品などを愛した浅川伯教・巧兄弟や柳宗悦をすぐに思い出す。一方の小山富士夫(1900〜1975年)は、中国北宋時代の名窯、定窯跡を発見した世界的な陶磁学者で、陶芸家でもあった。その彼が26年に初めて韓国を訪れ、朝鮮朝時代の陶磁器に魅了されたという話は、あまり知られていない。
「巧は『道〜白磁の人』という映画にもなったし、日本では有名。でも、小山富士夫も本当に白磁を愛していた」と説明する友人は今、割れたり、欠けたりした陶磁器を漆で接着し、継ぎ目に金を装飾して修復する「金繕い」も習っている。
金繕いの歴史は「茶の湯」が盛んになった室町時代に始まったと言われる。この日本独自の技法が、白磁の修復にも用いられていることを初めて知った。ここでも「日本人は白磁が大好きで、大事に思っている」と強調した。
素朴さのなかに優しさや温もりを感じさせる白磁は、過去から現在まで多くの日本の人々を結びつけてきた。白磁と日本人の関係に興味を持ち始めた友人は、どこへ向かっていくのだろうか。
どちらからともなく、韓国の窯元見学に行こうとなった。韓国で修行したいと言いだしたら? それもいいだろう。いつか白磁の杯で美味しい酒を酌み交わしたい。(M)
(2015.4.22 民団新聞)