ソウル〜東京 52日間
ソウルを4月1日に出発した「第5次21世紀の朝鮮通信使 ソウル‐東京友情ウオーク」の韓・日ウオーカーが最終日の22日、神奈川・川崎市のJR川崎駅前からゴール地点である東京・日比谷公園までの約20㌔を歩き、52日間の道程を終えた。ソウルから東京までの総参加者数は延べ2600人を超え、完歩者は韓国隊が8人、日本隊が21人(うち在日2人)だった。
この日、川崎駅前を出発したデーリーウオークを含む約120人のウオーカーが多摩川にかかる六郷橋を渡って東京側に入ると、民団大田支部の盧幸一常任顧問ら日韓文化交流親善協会のメンバー12人が「2000㌔ウオーク ご苦労様でした」のプラカードを掲げて出迎え、一部はその足でともに日比谷公園を目指した。品川からは東京日韓親善協会の保坂三蔵会長らも加わった。
皇居を経由して隊列が日比谷公園にゴールすると、民団・婦人会東京本部、東京日韓親善協会連合会、川越唐人揃い実行委員会のメンバーら100余人が、韓日の小旗を振り、「ソウル〜東京ウオーク2000㌔歓迎」の横断幕を掲げ、大きな歓声をあげた。大田支部のサムルノリメンバーも演舞で華を添えた。(実総歩行距離は1158㌔)
ウオーク隊の中村進事務局長の「無事到着!」の掛け声とともに、報告集会が始まった。東京本部の金秀吉団長は「皆さんの行動力をバネにして、朝鮮通信使のユネスコ世界遺産登載を促進しよう」とあいさつ。保坂東京日韓協会長は「目標にひたすら向かう皆さんの姿勢に熱くなった。これこそ両国友情のあり方だ」と称賛した。
隊員一同は、長い道程を助け合い、「誠心の交わり」を実践した。
今回で5回目の完歩を果たした嶋文子さん(71)は「言葉がわからないながらも、韓国の人とは歩くうちに絆が深まり、意思疎通できるのがウオークの素晴らしさ。国交正常化50周年ということで取材も数多くあり、記憶遺産化に向けた手ごたえを感じた」と強調した。
日本勤務経験があり、通訳の役目を果たしてきた韓国隊の崔英禹さん(77)は「東京まで歩くことができるとは思わなかった。通信使の熱い思いを体感できた」と感慨深げだった。
日本隊の遠藤靖夫隊長は「朝鮮通信使がたどったゆかりの地を中心に、地域の祭りを活性化させるだけでなく、(朝鮮通信使)縁地連絡協議会に加盟してもらい、来年の世界遺産化ゴールに向けて歩き続けたい」と意欲を燃やしている。
隊列はその後、都内での完歩祝賀パーティーに臨んだ。
(2015.5.27 民団新聞)