英霊52人の位牌 焚き上げ
韓国中央会館での顕忠日追念式後、在日学徒義勇軍同志会(朴鳳会長)と在郷軍人会日本支会(孫京翼会長)の会員と遺家族ら約40人はバスであきる野市の大行寺まで移動、在日学徒義勇軍忠魂碑を参拝し法要を営んだ。同志会では毎年6月6日の顕忠日に大行寺を参拝していたが、昨年10月、韓国中央会館前に戦死・行方不明者135人全員の名前を刻んだ新たな忠魂碑が建立されたため、公式的な参拝・法要は事実上今回が最後となった。
同志会の朴会長は「自由民主主義を守るため祖国の戦線に向かった同志たちの魂がここに祭られていた。あの戦争から65年、今一度、英霊に黙祷を捧げたい」と全員で碑に頭を下げた。この後、本堂に場所を移し山城清邦住職による法要が行われた。
大行寺の納骨堂に安置していた52人の位牌は、魂抜きをしたあと、お焚きあげ供養をする。
在日義勇兵135人戦死
在日学徒義勇兵は642人が志願。50年9月の仁川上陸作戦をはじめソウル奪還作戦、元山・利原上陸作戦、甲山・恵山鎮奪還作戦、白馬高地戦闘、長津湖戦闘などに参戦し、135人が戦死・行方不明となった。このうち83人は現北韓地域での中国人民志願軍との戦闘で行方不明に。
身元が確認された52人の遺骨は51年10月、除隊した志願兵が日本に戻る帰還船によって搬送され、いったん建青(朝鮮建国促進青年同盟)の中央訓練所に仮安置。その後、駐日韓国代表部の斡旋によって、同胞の崔祐尊住職が営む大行寺(東京都あきる野市)に安置した。
本来なら戦死者は国軍墓地(現国立顕忠院)に安葬されるはずだが、在日志願兵のほとんどが米軍師団に配属されたことで韓国軍戦死者から除外されていた。
母国のために命を捧げた勇士が国軍墓地で永眠できるよう、民団は62年の全体大会(現中央大会)で「移葬推進委員会」を立ち上げ、韓国政府に本格的な要望活動を展開。約2年近くにわたる交渉のすえ、国防部の配慮によって63年11月19日に移葬が実現した。
在日同胞の募金で新設された「在日青年学徒義勇軍墓域」に安葬された。
北側地域に出征した83人は休戦後も行方不明者扱いとされ、同墓域から除外されていた。その約30年後の92年11月19日、韓国陸軍本部が戦死者と確定し翌年3月に83柱が追加建墓された。
(2015.6.10 民団新聞)