日々の交流楽しむ
政治と区別、歴史を見る土壌
私が韓国文化院を辞めて、ソウル近郊の韓国学中央研究院に留学したのは今から8年前の2007年です。2011年に研究院の人類学科博士課程を修了し、私が韓国でもっとも気に入っていた慶州を調査地に選び、在学中に結婚した妻と娘とともに慶州に来ました。周りの人はほぼ韓国の皆さんです。私はあまり自覚していませんが、日々が韓日交流の実践と言えるでしょう。私の慶州での活動を紹介しながら韓日交流について少し考えてみたいと思います。
私の仕事は研究活動、浦項MBCラジオレギュラー出演、国立慶州博物館解説ボランティア、そしてカレーとうどんのお店の運営などで成り立っています。
研究は植民地期の慶州について行っています。主眼は植民地期慶州の日本人支配システムと朝鮮人の対応を解明することです。当時の生存者で一人、植民地後半期の慶州について鮮明に記憶されているご老人がいらっしゃり、この方に集中的にインタヴューを行っています。それとともに植民地期の文書記録も調査しながら研究を進めています。最近、学会での発表もするようになり、徐々に韓国の研究者との交流が広がっています。
週1回のラジオ自由に話します
浦項MBCラジオについては昨年の6月から毎週金曜日夕方に15分ほど「荒木潤の慶州の昔の風景」というコーナーを持ち、植民地期の慶州に関するエピソードを話しています。MBCのディレクターが突然訪ねてきて、依頼を受けて始まったコーナーですが、既に50回を超えました。敏感な問題ですが、基本的には自由に話しています。
国立慶州博物館での解説ボランティアは3年前にはじめました。同博物館の起源を辿りますと植民地期までさかのぼることができます。このことは私の研究テーマと密接な関係があり、博物館の社会的含意を実践を通じて考察したいという思いではじめたものです。
もともとは日本人を対象に解説をするつもりでしたが、はじめた当時から日韓関係がかんばしくなく、円安の影響もあり、日本人の来館が激減し、いつしか韓国人を対象に解説をするようになりました。
通常の解説に加え、研究テーマと絡めて植民地期の日本人による古墳や文化財の発掘のエピソードや問題点などを解説しています。
そしてこれだけでは生活できませんので、慶州南山の麓で1年前に小さなカレーとうどんのお店を開きました。妻が社長で私は調理担当です。もともと私がカレーを作るのが趣味で、特技を活かそうということで開業しました。
調理は外にかまどを設置して、薪で野菜の炒めと長時間の煮込みをしています。肉は良質な韓国産を使い、香ばしさとコクを出しています。薪は都会では使いづらく、田舎ならではの味をだしているかと思います。
以上が私の慶州における主たる活動です。私は研究者として各場面で植民地期慶州に関する話をしているのですが、内面の奥までは分かりませんが、韓国の皆さんの反応は極めて冷静です。日本の植民地支配を肯定的に見る韓国人はほとんどいませんが、同時に歴史を冷静に振り返る土壌が育ってきているのでしょう。
そして私の作るカレーやうどんも意外に好評で、ブログなどで随分紹介して頂いています。政治と文化を冷静に区別しているのです。私に対して政治問題を持ち出す人はいません。その様子は日頃マスコミで報道される韓国人の姿とは随分と異なります。
今年が韓日国交正常化50周年ということで両国で様々な交流イベントが企画されているようですが、先入観を排し、日常の人々の息遣いが聞こえる、等身大で持続性のある交流が更に広がっていくことを願ってやみません。
(2015.6.24 民団新聞)