■□ 両国世論調査 7割が「改善は必要」…共同利益の追求に期待強く 国交正常化から50年の節目を迎えた22日を頂点に、韓日両国では政府をはじめ各界・市民団体などによる大小の祝賀行事や学術会議、対話・討論集会などが続いた。形態や中身はさまざまでも、その多くが関係をこれ以上冷え込ませず、少しずつでも好転させよう、そんな衷情を確認し合う場になった。現状打開につなげるうえで「50周年」はやはり大きな意味をもったと言えそうだ。 韓国の東アジア研究院と日本の言論NPOが4月から5月にかけて、共同で実施した世論調査の報告に注目したい。韓国側は19歳以上を対象に調査員による対面式聴取方式(有効回収標本数1010)、日本では18歳以上を対象に訪問留置回収方式(同1000)による。 韓日関係の現状に対する認識や双方の国民感情に関するこの共同調査は3年連続だ。言論NPOは「両国民とも相手国との直接交流の度合いがいまだ乏しく、その間隙をメディアなどの間接情報に依存する構造は、調査開始以来変わっていない」としている。 両国の9割以上が相手国に関する情報源を「自国のニュースメディア」に依存し、しかもその7割がテレビの存在をあげている。また、両国とも相手国への訪問経験者は約2割に過ぎず、日本人の7割以上、韓国人の8割以上が相手国に知人や友人を持っていない。回答には両国メディアの影響が色濃く反映されていることを念頭に置く必要がある。 共同調査によれば、相手国にマイナスの印象をもつ日本人が52・4%(昨年54・4%)、韓国人が72・5%(同70・9%)。現在の韓日関係を「悪い」と見る日本人は65・4%(同73・8%)、韓国人は78・3%(同77・8%)。いずれも、日本人に改善もしくは底打ちの兆しが見られるのに対し、韓国人は横ばいだ。
親しみ感じるが5年前は多数派 参考として、2010年10月に行われた日本内閣府の世論調査を見ておこう。李明博大統領が任期半ばにあり、日本では民主党が政権を握っていた時期だ。「(韓国に)親しみを感じる」が61・8%(「親しみを感じる」19・0%+「どちらかというと親しみを感じる」42・8%)で、「親しみを感じない」は36・0%だった。二つの調査を同列には論じられないとしても、悪化ぶりはあまりにも歴然としている。 ただ、今回の共同調査では現在の関係を「望ましくない状況」と認識し、「改善の必要がある」と考える日本人が67・8%、韓国人が67・2%でほぼ同数の7割近くを占めたこと、また、「韓日関係は重要だ」とする日本人が65・3%(昨年60%)に増加し、韓国人が87・4%(同73・4%)と大幅に増えたことには留意したい。 そこから読みとれるのは、韓日関係をこれ以上悪化させてはならないとの思いだ。お互いに隣国としての建前を意識した面が少なくないとしても、これこそが関係改善を担保する精神的な岩盤になる。 韓日関係は重要であり、改善の必要があるとする比率が高いのに加え、韓日首脳会談についても両国の8割超が開催を希望している。それにもかかわらず、会談は急ぐべきではないとする意見が日本人で4割、韓国人で7割近い。 アンバランスに映るこれらの回答は、共同の利益は首脳会談あるいは政治と切り離してでも追求されるべきだとする考えが、関係をこれ以上悪化させてはならないとの思いとともに韓日で共有され、広がっていることを裏づける。「首脳会談なき関係改善」がキーワードになって久しいことも反映していよう。 しかし、それはあくまでも、政府間関係の正常化がそう遠くないうちに訪れることを前提としている。 経済界、自治体、市民団体などによる交流・協力に厚みがあれば、政府間にあつれきがあっても基本関係はぶれにくく、修復バネが働きやすい。しかし、現在の韓日関係にこの一般論は適用できるだろうか。 韓日間の交易量は、関係が悪化し始めた2012年から縮小均衡に入ったままだ。韓国の今年4月までの対日輸出は前年同期比で19・7%、輸入は9・8%減少した。専門家は政治的な要因も響いていると見る。経済という共益追求の分野においても、政治が抑制心理を働かせていることに警戒を怠れない。 ■□ 水平・均衡化 世界に誇れる成功例…競合と協力 言い合う仲にも 韓日関係はなぜ、これほどまでに冷え込んだのか。研究者らによる掘り下げが進み、著作やシンポジウムなどを通じて論議も真摯かつ活発に展開されてきた。 背景として指摘されたのは、東西冷戦の崩壊によって米国主導による韓日の結束に緩みが生じたこと、中国の経済・軍事両面での台頭が地域バランスの大きな変数になったことだ。日米と中国が対峙する構図が鮮明になるにつれ、経済と北韓リスクの管理面で中国への依存度を高めてきた韓国の立ち位置が揺れる状況が生まれている。 地域環境のこうした構造的な変化のなかで、韓国と日本の関係そのものがかつての垂直的なそれから水平・均質化してきた。簡単に言えば、お互いに縛りや配慮がなくなり、言うべきは言う間柄になったことで、世論の「管理」が難しくなったというのだ。多くの研究者がこれを関係悪化の最大要因にあげる。 国交が正常化された1965年当時の日本は、敗戦から20年の時点にあり、前年には非西洋国家として初めてオリンピックを開催し、先進国クラブであるOECD(経済協力開発機構)に加盟、高度経済成長を謳歌していた。ちなみに、西ドイツを抜いて世界第2位の経済大国に躍り出たのが68年である。 一方の韓国は、6・25韓国戦争の休戦から12年が経っていたにもかかわらず、北韓にさえ大きく水をあけられた最貧国だった。輸出1億7500万㌦に対し輸入は4億6300万㌦であり、深刻な貿易赤字に苦しんでいた。追い討ちをかけるように、米国による対韓援助もベトナム戦争の激化にともない削減されつつあった。 余裕の日本と経済建設資金に逼迫する韓国。圧倒的な国力格差がもたらす垂直的な関係の下で、韓日基本条約は締結された。日本は植民地支配について、感謝されこそすれ謝罪する必要など少しもないとの態度で一貫し、対日請求権に属する資金を計5億㌦の「経済協力」や「独立祝賀金」に化けさせた。足下を見る日本に対し、韓国は「先国交・後懸案解決」の苦汁の方針で臨み、臥薪嘗胆を期すのが精一杯だったのだ。
それから50年後の現在、GDP(国内総生産)に見る韓日の差は依然として大きいものの、購買力評価を勘案した1人当たりGDPではほぼ肩を並べる。韓国の50年前の1人当たりGDPが日本の7分の1水準の100㌦ほどであったことを考えれば隔世の感がある。しかも、両国経済は世界を舞台に、激しく競い合いつつも協力し合うまでになっている。 連携の柱「海外共同進出」 経済連携の柱になっているのが「第三国への共同進出」だ。例えば、2011年から始まったインドネシアでのLNG(液化天然ガス)の共同開発は総事業費がおよそ3300億円。韓日の企業による合弁会社が開発、生産、供給までトータルに主導するもので、世界でも初めての事業とされる。年内にも生産開始の予定だ。 両国はエネルギー資源に乏しく、LNGの輸入量は日本が世界で1位、韓国は2位。石油メジャーと呼ばれる欧米企業がきわめて強く、韓日両国は割高な金額での輸入を強いられてきた。しかも、中国やインドなど巨大な新興国が輸入を始めたことで、安定的な確保も急ぎの課題になっていた。韓日が生産を主導すれば、供給量や価格の安定が期待できる。 韓日合弁企業はカナダでも合弁会社を立ち上げ、新たなLNG開発に向けて準備中だ。こうした資源開発だけでなく、インフラ整備の面でも共同事業が活発化している。その数はアフリカでの火力発電、インドの地下鉄、モンゴルの空港など世界20カ国あまり、40件以上とされ、今後さらに拡大する展望だ。 近現代期に植民地支配を受けながら、経済面を中心に旧支配国を追い上げ、競合・協力しつつ関係の水平化を遂げた例はきわめて希であろう。この、世界史的にも称賛されてしかるべき次元への到達こそ、国交正常化による最大の成果と見なすべきである。これに関係悪化を招く「負」の要因があるとすれば、歴史の皮肉と言うほかない。 ■□ 「歴史」の理念化 認識の接近 遠い現実…尊重されるべき「98年宣言」 植民地支配の清算を置き去りにした決着は、今も解きほぐせない深い禍根を残した。原則的な立場を貫けなかった韓国政府は自国民に負い目があり、韓国の主張を突っぱねた日本政府にも韓国への負い目がなかったわけではない。歴史認識について、韓国が主張すべきは断固と主張し、日本がこれをまがりなりにも受け入れる構図がしばらく続いたのはそのためだ。 過去は決して消せるものではない。それが不幸であればあるほど正面から向き合い、より望ましい未来へ歩み続けることでのみ克服できる。韓日両国は歴史対立を間欠的に繰り返す一方で、この可能性を拓く努力を怠らなかった。 高校歴史教科書の検定で、アジア「侵略」を「進出」に書き換えさせた姿勢が韓中両国から問題にされた82年、日本政府は「我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大な苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意」を表明、この精神を検定基準(近隣諸国条項)に明記することで事態を収拾した。 「深い遺憾の念」(中曽根康弘首相、84年)、「謙虚に反省」(海部俊樹首相、90年)、「深く反省をし、心より陳謝する」(細川護煕首相、93年)など、日本の歴代首相は過去に少しずつ踏み込んだ。そして95年、戦後50周年にあたっての「村山談話」には、「植民地支配と侵略」の事実を認め、「痛切な反省」と「心からのおわび」が盛り込まれた。 この談話は韓国を名指ししてはいない。だが、主意はより明確に引き継がれ、98年の金大中大統領と小渕恵三首相による「韓日パートナーシップ宣言」で結晶する。小渕首相は韓国に向け初めて、植民地支配で与えた損害と苦痛に対し「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。韓日間の正式外交文書に明記された意義は大きく、韓日両国では今でも「最高の到達点」として評価が高い。
歴史認識の溝を埋めてきたのに 歴史認識の溝は、こうして着実に埋められてきた。しかし、一方ではこの間にも談話や宣言など日本政府の公式見解をなし崩しにし、空洞化させようとする言動が右派政治家を中心に後を絶たなかった。90年代半ばには、既存の教科書を「自虐史観」と槍玉にあげる歴史修正主義の動きが本格化し、2001年にはそれが形になる。 まず3月、「新しい歴史教科書をつくる会」系の歴史教科書が検定を通過した。この検定を前に、教科書出版7社の過半が従軍慰安婦、細菌・731部隊に関する記述や「侵略」などの文言を削除するか、表現を曖昧にする「自主修正」に応じていた。「つくる会」系のプロパガンダと自民党・政府筋の圧力が複合的に作用した結果とされる。 そして4月、「首相に就任したら、8月15日に、いかなる批判があろうとも必ず参拝する」と大見得を切った小泉純一郎首相がいわゆる劇場型パフォーマンスの挙げ句、2日前倒しにして公式参拝を強行、中曽根首相が85年に「公人」として参拝して以来の「タブー」を16年ぶりに破った。 小泉首相は、05年の終戦60年に際して村山談話を踏襲する談話を発表、自民党総裁の任期が満了する翌年には「公約」通り8月15日に参拝した。韓中両国の猛反発を受けては、「戦歿者に心から哀悼の誠を捧げるのであって、疑念を招くのは本意ではない」などと「苦渋」に満ちたコメントを繰り返しながら、参拝は6回におよんだ。 日本社会に、特に若者を中心に「アジア諸国からいつまで、戦争責任を追及され、謝罪を求められねばならないのか」といった反発が広がったのは小泉政権時代である。 「責める韓中」対「耐える日本」? 歴史認識にかかわる日本人自身の問題であるにもかかわらず、韓中との外交問題であるかのように認識誘導されたといって過言ではない。「責める韓中」対「耐える日本」という構図が流布され定着した。 在任5年半ほどの小泉政権と時期が重なったのは金大中大統領の後期、盧武鉉大統領の前期だ。03年の就任演説で盧大統領は「正義が敗北し、機会主義者が勢いを得る屈折した風土は清算されねばならない」と強調、04年には「親日から親米、親独裁へ、権力に迎合し機会主義的な変質を繰り返した者たちと反省しない彼らの後裔」を糾弾する目的で「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法」を制定した。 続いて05年、「韓日関係に関する対国民談話」を発表。小泉首相の靖国参拝、島根県による「竹島の日」制定、侵略の歴史を正当化する教科書の再登場などに触れ、「これまでの日本の反省と謝罪をすべて白紙化」するものと批判、「外交戦争」も辞さないと宣言した。 韓日の歴史認識をめぐる軋轢はこの時期、それぞれの国内事情も絡んで明らかに理念闘争化した。日本では「自虐史観」の排斥、韓国では「日帝残滓」の一掃ならびに対日史観の再構築と、ベクトルこそ異なるものの、ともにナショナリズムに基づく歴史修正主義の台頭があった。今日の関係悪化の鋳型はこの頃につくられたと言える。 ■□ 修復への試み 問われる「70年」対応…可能な部分から共感育め 日本の「右傾化」現象は、09年9月から3年余続いた民主党政権期にやや足踏みしただけで、いったん野に下った自民党が満を持し、「日本を取り戻す」ための「闘う保守」として再執権して以降より鮮明になった。これは「耐える日本」から「反撃する日本」への変身でもあった。 韓国では李明博政府の5年、現在の朴槿恵政府の2年半と保守の執権が続いている。しかし、盧武鉉政府時代に政治・司法・教育・労働の各界や市民運動団体に進出した386民主化世代(90年代に30代となり、80年代に学生運動を行った60年代生まれ)の影響力は今なお強い。 進歩派と称されながらも親北韓的で民族主義的性向が濃厚であり、盧大統領が宣言した「対日外交戦争」を継続することで自国政府を揺さぶろうとしている。当面の最大懸案である慰安婦問題でも、韓国政府は「韓国挺身隊問題対策協議会」への対応に手を焼いているだけでなく、「過去清算」問題で安易な妥協は許されないとの縛りからなかなか自由にはなれない。 支持率が比較的高い安倍政権の下でまとまっている印象がある日本に対し、韓国が押され気味に見えるのはそのためだ。 前述の共同世論調査で、双方が首脳会談を強く望みながらも、開催時期については急がないとの慎重論が目立った。 盧大統領と小泉首相は03年に2回会談したほか、年1回相互訪問するシャトル外交で04年にも2回、05年に1回会談している。だが、両首脳は意気投合するどころかお互いに嫌悪感を抱くまでになったという。 東京で21日に開かれた韓日外相会談で、韓日中3国首脳会談は「早期開催」、韓日首脳会談は「適切な時期」で合意した。「明治日本の産業革命遺産」と「百済歴史地区」の世界文化遺産登録に協力することで一致したように、難題はさておいて可能な部分から共益実現を積み上げ、首脳会談の開催を早めるよう環境を手堅く整えていくことが望まれる。
「朝鮮通信使」がいま協力の象徴 両国にとって前向きな要素があれば、意識して育てていく、そんな姿勢が双方で目立つようにもなった。その象徴となっているのが「江戸時代の朝鮮通信使」だ。 在日同胞の故・辛基秀さんが制作した同名の記録映画は韓日双方で盛んに上映され、通信使の関連史料をユネスコ世界記憶遺産に登録する韓日共同事業が盛り上がりを見せている。 韓日・日韓議連はこれを支援すべく決議しており、両政府が公式支援を表明すれば環境整備に大きく貢献しよう。 韓日関係が悪化したなかで相次いで出帆した安倍政権(12年12月)と朴槿恵政府(13年2月)は、今年の国交50周年、敗戦・解放70周年という歴史的な節目を強く意識し、相手の出方を牽制しつつ見極めようとして事態をさらにこじらせたきらいがある。 ソウルと東京で22日に開催された韓日国交正常化50周年の記念式典に両首脳が相互に参席し、祝辞を述べた。演出に過ぎないとの見方があろうとも、実務折衝を下敷きにした共同行動であることに変わりなく、それが含んだ意味にはやはり大きなものがある。 「50周年」は終わったが「70年」への踏み台を用意した。8月15日まで2カ月も残っていない。「70年」に向け、安倍首相の談話、朴大統領の慶祝辞が注目されている。少なくとも両国が互いに重視し合い、尊重し合う姿勢をにじませる内容になるよう期待したい。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(2015.6.24 民団新聞) |