掲載日 : [2016-03-16] 照会数 : 5555
サラム賛歌<1>過ぎた時代を生き返らせて
[ 仁川近代博物館 崔雄圭館長 ] [ 戸田郁子 韓国在住の作家・翻訳家。1983年にソウルに留学。中国でも8年余り過ごした。仁川の旧日本租界に残る築90年の日本式木造住宅を改築して仁川官洞ギャラリーを開き、東アジアの文化交流を目指す展示や近代歴史散策を行っている。図書出版土香(トヒャン)では多国語の発信も行う。主な著書に『中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶』『悩ましくて愛しいハングル』など。 ]
仁川発 戸田郁子
わが家が仁川に引っ越して、今年で3年になる。仁川と聞くと、国際空港しか思い浮かばないという方もいるだろうが、私が住むのは港町の方だ。鎖国していた朝鮮王朝が1883年に開港した港町には、今も近代の痕跡が色濃く残る。
ここに引っ越すきっかけを作ってくれた人が、仁川近代博物館の崔雄圭館長だ。崔先生と初めて会ったのは20年も前。「床屋の絵」という不思議なタイトルの展示会場だった。
かつて庶民が集う場所としてにぎわった町の床屋さん。その壁には、じっとしている客の目を楽しませるための絵が掛かっていた。
ジェームス・ディーンやエルビス・プレスリー、マリリン・モンローの肖像画もあれば、桃源郷を思わせる田園風景、大海原を行く帆船もある。母豚の腹に吸いつく大勢の子豚は子孫繁栄の象徴。世相を映した「為せば成る」という毛筆の標語もあった。
どれも道端で安く買えるものだったから、店を改築すれば惜しげもなく捨てられてしまった。崔先生はそんな額を展示会場にずらりと並べて見せた。
手の届きそうな近い過去の、誰もが知っているが誰もが捨ててしまった、およそ芸術とはほど遠い卑近な絵。見る者はみな笑顔になって、思い出話に花を咲かせていた。
展示会場の片隅には、理髪店の内部も再現された。ちびた髭剃り用の泡立てブラシ、剃刀を研ぐ年季の入った革のベルト。くもった鏡の前にあるバリカンに髪の毛がこびりついているのを見て、私は思わず感嘆の声を挙げた。ディテールにこだわる崔先生の心意気に、胸を打たれたのだ。
崔先生は他にも、小学校の教室や喫茶店、貸本屋、雑貨屋など、過ぎた時代を再現する展示を次々と開催し、各地で好評を博した。
1990年代の初め。古き物は捨てるに限ると考えられた高度経済成長期が終わりを告げ、手垢のついた物に郷愁を感じる情緒が芽生え始めたころだった。崔先生の展示はまさに、その後の韓国のレトロブームを牽引したのだ。
崔先生のコレクションは、庶民の生活用品が多い。「自分はお金がなかったから、値の張る骨董品には手が出ず、人が捨てるような物しか集められなかったん」と崔先生はうそぶく。
しかし誰もが競うように古い物を捨てた時代、捨て去られる物に並はずれた愛着を抱き、蒐集を続けた崔先生のこだわりは素晴らしい。
こういう人がいるからこそ、過ぎた時代は検証され、次代へと引き継がれるのだ。だから私は「崔先生こそ大韓民国の宝物」と大言してはばからない。
忠清道出身の崔先生は、40年ほど前から仁川に通い始めたと言う。独特の異国情緒や歴史の痕跡などが崔先生の感性を刺激した。
そして2010年、チャイナタウンの片隅に「仁川近代博物館」を開いた。
開港と同時に近代化が始まった仁川の町にできた崔先生の小さな博物館には、まさに韓国の近代から現代までの様相がぎっしりと詰まっている。そこが私のお気に入りの場所だということは、言うまでもない。
わが家の引っ越しは、崔先生の「仁川においでよ」という言葉が引き金になった。私も韓国人のつれあいもまた、古くさいものにこだわってしまう性分なのだ。
戸田郁子
(2016.3.16 民団新聞)