掲載日 : [2016-04-27] 照会数 : 10689
<熊本地震>被災同胞 険しい「日常」復帰…民団が戸別訪問
[ 雨の中、被災同胞宅に救援物資を運ぶ民団対策本部スタッフ(24日) ]
【熊本】激震・強震などが相次いだ熊本地震は14日の「前震」から2週間を迎えようとしている。15日に設置された「熊本地震被災者支援韓国民団対策本部」(本部長・呉公太団長)は同日、組織局スタッフを熊本本部に派遣して支援対策本部を立ち上げ、19日には林三鎬対策副本部長ら本隊を送り込んで本格的な救済活動に入った。団員・家族に人的被害はほとんどないものの、自宅や店舗の損壊は多く、避難所生活や営業不能を余儀なくされ、精神的な苦痛を強いられている団員は少なくない。今後、生計への不安もふくらむだけに、ねばり強い生活・復旧支援が望まれている。
生計手段の痛手目立つ
救援物資・見舞金手渡す
激甚災害に指定された熊本地震は25日現在で、死者49人、安否不明者1人、負傷者1432人を数え、建物の損壊は大分県を含め約1万1000棟、避難生活者も6万人を超す。震災が原因と疑われる死者も12人に増えるなど、心身の苦痛は募り続けている。
団員・同胞の場合は幸い、軽傷者が数人把握されただけで25日現在、重傷者や死者は確認されていない。だが、要介護者を抱える家庭や独居老人も多く、万全の生活支援がなければ人命被害を招きかねない深刻な状況は同じだ。
15日から稼働した民団の現地対策本部は、団員の安否確認から着手したが、地域社会の混乱で思うにまかせないまま、16日の本震で熊本韓国会館が大きな打撃を受けたことで一時は機能不全に陥った。
だが、崔相哲事務局長ら常勤者や活動者は、自身が被災したにもかかわらず、17日午前中には対策本部機能をほぼ回復させ、19日からは中央本部や福岡、佐賀、長崎など近隣地方本部の要員とともに戸別訪問を開始した。多い日で9チーム22人が救援物資や見舞金を伝達して回った。
訪問対象を被害のない球磨郡8世帯を除く127世帯に絞り込んだ。24日までにすべてを訪問したが、面談ができたのは77世帯。
飲料水や非常食、トイレットペーパー、タオル、サランラップなどのほか、事前情報に応じて生理用品や紙オムツを準備し、これらをとりあえずの見舞金一律3万円とともに手渡した。
団員の被災状況は一見での悲惨さは目立たなくとも、時を追って深刻化しそうなケースが少なくない。阿蘇市の河三龍さん(90)は、ペースメーカーを装着しており、妻(82)は認知症だ。自宅は外壁が崩れ落ち、内部の損傷も激しい。避難所から自宅に戻ったが、同居する娘さんは途方にくれている。
上野春子さん(熊本市南区、80・日本籍)は一人住まいながら、子ども3人、孫9人が近くに住み、家族に恵まれた平穏な日々を過ごしてきた。亡き夫の遺志を継いで団費を払い続けてもいる。堅固なつくりの自宅に問題はないが、土台の周囲が30㌢ほど陥没、台風の多い地域でもあり今後への不安が消えない。
金杜烈さん(熊本市北区、45)が地震に見舞われたのは、韓国料理店の新規開店を目前にしていたときだ。「建物が危ういため開店は無理。新品のエアコンや内装工事にかかった費用について、家主と話し合っている状況」と頭を抱える。自宅の外壁も崩れた。
パチンコ店をチェーン展開する「21世紀グループ」(本社・熊本市)は、外壁崩壊や内装物の落下、上下水道の断絶などで11店舗が16日から営業を停止した。金学哲社長(55)は、広島土砂災害や東日本大震災時に多額の義捐金を民団などに拠出してきた。金社長は「まさか被災するとは。8店舗は今週中には営業再開の見込みだ。落ち着いたら復旧に貢献したい」と話す。
新定住者も民団に合流
被災地には民団とまだ縁のない新定住者も多く、民団は同胞全体の被害を把握仕切れていない。だが、この間の活動で新定住の女性たちが民団と協力、大きな役割を果たした。戸別訪問用の自動車はすべて彼女たちの提供だった。
熊本市中央区でアパートを経営する崔末先さんは、アパートの外壁が崩れ落ちて半壊認定を受けた。このアパートでオモニと暮らす崔さんは「不安でしかたなかった。民団が来てくれてうれしい」と語った。
被害のあるなしや大小にかかわらず、民団の訪問を感謝し、涙を流して喜んだ同胞たちが多かった。被災の心理的ダメージはこれからふくらむ。メンタルケアも含め、民団は訪問・支援活動を継続する。
中央の対策本部は、倒壊・大規模半壊・半壊など罹災証明書が発給され次第、被害規模に応じて財政支援を行う方針だ。
(2016.4.27 民団新聞)