掲載日 : [2016-05-25] 照会数 : 5639
サラム賛歌<7>オンマと呼んでくれる金財花
[ 2011年の財花の結婚式。新郎の隣が筆者 ]
多言語は自由への翼
5月の「オボイナル(父母の日)」の朝、「オンマ、アッパ!」と言って、私たちに駆け寄ってきた娘がいる。財花だ。小さかった娘が、今や二人の女児のお母さんになり、そのおかげで私とつれあいは、「ハルモニ、ハラボジ」と呼ばれるようになった。
金財花の故郷は、中国遼寧省の鴨緑江沿いにある朝鮮族の村。出会ったのは小学校4年生のときだから、もう20年も前のことになる。財花の生い立ちについては、拙著『中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶』(岩波書店・2011年)に詳しい。
財花は当時、朝鮮族作文コンクール(小学生の部)で、幼い自分を捨てて村を出て行った母への思いを書いて、一等になった。祖母の手で育てられたが、学用品を買うお金にも事欠くような暮らしだという窮状を聞き、私たち夫婦が学費の援助を申し出たのだった。
初めは財花から「アジミ、アジョシ」と呼ばれていた私たち。それがいつの間にか「オモニ、アボジ」となり、今では「オンマ、アッパ」になった。
瀋陽にある朝鮮族師範学校を卒業した財花は、語学学校に就職し、その後、延辺出身の朝鮮族と結婚した。豆満江のほとりの図們で行われた結婚式で私は、「韓国から来たお母さん」として、韓服を着て参列したことを思い出す。
その後、夫の勤務地が変わるたびにあちこち引っ越しをした財花だが、今は中国企業の韓国出張所に勤務する夫に伴って、二人の娘たちとソウルの郊外の町に住んでいる。
かつて私とつれあいは中国に住みながら、夜汽車やバスを乗り継いで財花の顔を見に出かけたものだが、今では財花が車で、仁川のわが家に遊びに来るようになった。
財花はすっかり韓国暮らしに馴染んでいる。いつの間にか朝鮮族訛りも消えて、言葉使いも韓国式になった。どこから見ても、韓国のオンマだ。私は財花に言う。
「なんで家で、子どもたちに中国語を教えないの」
「まだ小さくて、よくわからないって言うから」
「わからなくても、使い続けるのよ。オンマが使えば、子どもたちはすぐに覚えるんだから。小さなうちから教えた方がいいのよ」
私は孫娘たちに、「オンマに読んでもらいなさい」と言って、中国の絵本を何冊かプレゼントした。
幼いうちから多言語の環境に身を置かせること。それは私自身の子育てで試みたことだ。初めはあれこれ葛藤もあったが、子どもは成長とともに日中韓の言語を自然に体得し、それが後に大いに役立っていることは実証済みだ。
韓国で差別されたくないから、韓国人のように振る舞いたいという財花の心は、私も痛いほどわかる。しかし、目の前のことだけにとらわれてほしくない。
幼い孫娘たちはいつの日か、韓国で育った中国の朝鮮族だというアイデンティティーを意識するはず。この子たちが自信を持って社会に踏み出す勇気を持つためにも、多言語を身につけさせることが重要なのだと、私は財花に教えている。
孫娘たちが狭い世界に縛り付けられず、どこへでも軽々と飛んでゆく自由を手にしてほしいと、私は願う。そのとき言葉は、大きな翼となる。
戸田郁子(作家)
(2016.5.25 民団新聞)